2017年11月

大島サイト・リノベーション in 秋桜祭「竹の弧、石の個」 [2017年11月24日(金)]

 これは何の写真だと思いますか。

 11月11日㈯、12日㈰は、昭和女子大学の秋桜祭。2日間で22,127人もの方々が参加してくださいました。「輝」をテーマに、実行委員長をはじめ141人もの実行委員が、企画・運営を行い、すばらしい2日間でした。今年も多数の団体、学科、研究室、クラブ、サークルをはじめ、望秀海浜学寮や東明学林、卒業生の光葉同窓会も参加。附属もこども園、初等部、中高部も、同日に昭和祭を開催しました。加えて今年は、The British School in Tokyoも初参加。学園挙げての一大イベントが秋晴れの中、無事に終了しました。

 2日間、あまりにたくさんのイベントがあったので、もしかすると、上の写真にある展示を見逃した人がいるかもしれませんね。これは、同じ位の長さに竹を切って、丁寧に編んだ紐を使って、おもしろい方法でつなぎ合わせたものです。

 

 南京玉簾(すだれ)をご存じですか。まさに、その原理を使って、青竹を結び合わせ、なだらかな円形の美しい空間を作ってあります。風にそよぐ竹のサラサラという音がどこかからともなく聞こえてくるような、何とも日本らしくて穏やかな空間ができています。写真では竹のきれいな緑の色が伝わらず、残念です。来年、大島のカレイ山に建設予定の竹のアーチに包まれた空間(バンブーシェル)を実験展示してくれたものだそうです。中央にあるテーブルのようなところには、特産大島石を切り出すときに出る石の破片を活用して、大島の地形イメージが展示されていました。過剰に繁茂して始末に困る孟宗竹や、切り出し過ぎて減少する大島石の小さな破片を生かして、自然の資源を大切に、捨てて処分するのではなく、環境デザイン学科の学生たちが、デザインして活用することで、こんな素敵な空間が出来上がっていました。

カレイ山公園内にどんな「展望・休憩できる交流空間」が出来上がるのか、とても楽しみですね。

この像は何を意味しているのでしょう [2017年11月17日(金)]

 建畠覚造は1919年に東京に生まれ、日本の彫刻界では「抽象表現のパイオニア」といわれる人で、父親は同じように彫刻家の建畠大夢。長男として生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、渡仏しました。1962年から多摩美術大学彫刻科に努め、1966年から教授となりました。

 東京文化財研究所のデータベースによると1967年に第10回高村光太郎賞を、1981年には第12回中原悌二賞を、また、1983年にはヘンリー・ムーア大賞展優秀賞を受賞。神奈川県や和歌山県のギャラリーや美術館で建畠覚造展も開催され、武蔵野美術大学客員教授となりました。中高で教鞭をとっておられたこともあります。芸術選奨文部大臣賞を受け、2005年には文化功労者に選ばれましたが、2006年に86歳で逝去されました。

 これは、その建畠覚造による「二人」の像です。学園本部前の広場の8号館と1号館の間のプロムナードの入り口に据えられています。中高部父母会から寄贈されたものだそうです。

 建畠覚造の作品には、幾何学的要素と有機的要素が競り合いながらも共存していると言われています。「特集 建畠覚造の世界 明日への模索と実験」(『現代彫刻』56号 聖豊社 1982年)の中で、建畠氏は、自分の作品を見て、「それぞれ見る人によって全然違った考え方をもっていいから、広く考えてもらいたい」と書いています。

 皆さんは、「二人」の像を見て、どんな思いを持ちますか。別の方向を見ている二人の若者。しかし仲良く肩を組んでいます。この二人はどんな関係だと思いますか。肩を組みながら、お互いにどんなことを考えているのでしょうか。皆さん自身は、どのような友達との関係を大切にしていますか。

「歓」の像は今どこに [2017年11月10日(金)]

 正門を入って左手に小さな木陰とベンチがあったのを覚えていますか。そこに1メートル程の像が据えられていました。この一画は、大学9号館が完成して246号沿いの土地の一部も本学が購入したため、正門あたりがより広く使えるようになり、現在改装中です。

 そこにあった像は「歓」と名付けられたもので、現在は大学5号館の中高部よりのグランドの植込みに移動しています。

(大学5号館の中高部よりのグランドに移動した「歓びの像」)
  

 作者は奥田小由女(おくだ さゆめ)氏。旧姓は川井小由女です。1936年の11月26日に大阪に生まれ、ほどなく現在の広島県三次市に移りました。年代は違いますが、たまたま誕生日が私と同じです。東京に展覧会を見に来てそこで人形と出会ったのがきっかけで、創造的な人形作品の制作に取り組みはじめたとのこと。それ以来、数々の美術展や人形展などで受賞や入選を重ね、1972年の第4回、1974年の第6回日展で特選にも選ばれました。その後、銀閣寺の東求堂とつながる弄清亭(ろうせいてい)の襖絵を描いたことで有名で、また、本学の創立者記念講堂に掲げられている「秋嶽晩照」の作者でもある、奥田玄宋画伯と結婚。その後も日展で文部大臣賞や日本芸術院賞を受賞し、1998年には日本芸術員会委員、2008年には文化勲章に次ぐ栄誉である文化功労者に選ばれました。日展常務理事から、2014年には日展理事長となり、現在に至っています。

 「歓」の像は、川井氏の作による木彫の像を拡大してブロンズ像にしたものだそうで、本学の創立50周年(1970年)を記念して、中高の卒業生から贈られました。

(中高部にある「歓」の像の説明書き)

 11月中旬を過ぎると5号館や中高部前の銀杏の葉が黄色に輝き始めます。ぜひ、若い女性のはつらつとした姿を現した「歓」の像を見ながら、学園の秋をお楽しみください。

「楚形昭韻」 [2017年11月03日(金)]

 ブログのタイトルについて、何のことかわかりますか?昭和学園のどこにあるでしょう?

 「楚形昭韻」は、1992(平成4)年の5月2日の昭和女子大学の創立記念日に世界で初めて演奏された編鐘のことで、アメリカのボストンやオーストラリアでも、写真が紹介されました。「世界で初めて」というのは大げさですが、きちんとした楽譜も無く、どのような楽曲をどのように演奏するのかもよくわからない中で、演奏が試みられました。「楚形昭韻」という名前の意味は、「中国の楚の時代にあった形そっくりの昭和女子大学に響く鐘の音」といった意味ではないかと思います。

(昭和女子大学 創立者記念講堂にある楚形昭韻)

 「楚形昭韻」は、本学の記念講堂のロビーに飾られています。編鐘は、音の高さの異なる複数の鐘を枠に吊るした、古代中国の打楽器で、宮廷や上流社会で使われ、権力の象徴でもあったそうです。打楽器ですから、長い棒のようなもので、鐘をついて音を出します。組み合わせる鐘の数は7、13 、16、32など様々のようですが、本学にあるものには、大小43の鐘が3段に並んでいます。高さは3メートル、横幅9メートル、総重量6トンもあり、一番大きな鐘は1個で350キロもあるとか。記念講堂を訪れた人がインスタグラムでも時々紹介しているようです。

 1978年に中国の湖北省で発見された本物の編鐘は、戦国時代初期の諸侯であった曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土したもので、3層の木製の横木に最大153.4cmもある65点の総重量2567kgにもなる大きなものです。1つの鐘で2つの音を出すことができ、音階は七音階あり、音域は5オクターブ半あるのだそうで、中国の国宝に指定されているそうです。日本には編鐘を使用する音楽は伝えられていませんが、13世紀伝来と考えられている本物の編鐘は日光東照宮に保存されているのだそうです。2008年の北京オリンピックでは、中国の古楽器として演奏されたそうです。

 ところで、本学は上海交通大学と交流協定を結んでいて、今年度の3月には上海交通大学と昭和女子大学のダブル・ディグリーを授与される卒業生が出ます。本学からの要請で、記念講堂の編鐘を制作したのは、その上海交通大学付属の中国芸術研究所です。ちょうど1992年は日中国交正常化20周年の年にも当たり、編鐘は、それを記念して上海交通大学とこの年に提携を結んだ記念として本学のために製作してくださったそうです。

 今度、創立者記念講堂に入ったときには、是非、編鐘やその解説を見てください。