2018年10月

写真の先生をご存じですか [2018年10月26日(金)]

 

保坂都先生です。山梨県のご出身で、女学校に進学する人も村で一人いるかいないかの時代であった1923(大正12)年に上京され、親戚の方や近所の方々が村はずれまで見送って下さり、涙ながらの別れをしたというお話を私が大学生の時にお伺いしたことがあります。

当時の日本女子高等学院国文科を卒業後、附属高等女学部の講師もされ、その後大学で教鞭をとられました。いつも着物姿でいらしたことを、古い(私もその一人ですが)卒業生の皆さんはご存じでしょう。短めに和服をお召しになり、身のこなしが素早く、小さなお体でどこからそんな力が湧くのかと不思議なくらいでした。常に凛とした態度で、学生が怠けたりすると厳しい叱正が飛びました。「幸い」なのか、「残念」なことなのか、私は、当時英米文学科で学んでいたので、直接、先生にお教えいただくことはほとんどありませんでした。現在の1号館の場所にあった、大学本部館の1階が教授室で、どうしても用事があってその部屋に入らなければならない時は、保坂先生が着物姿で椅子の座席の上にきちんと正座されているのを横目で見ながら、呼び留められないように、そっと、出入りしたものでした。

1904(明治37)年9月20日のお生まれで、教育、研究一筋に歩まれましたが、初めての海外旅行の折のエピソードは、先輩たちからよくお聞きしています。大学のある教員がハーバード大学の夏期講習に出席するということで、1960年にご一緒されたそうです。横浜港から船で出発。この頃、勿論、昭和ボストン校はありませんでした。珍しい洋服姿のお写真を一枚だけ拝見したことがあります。帰りはヨーロッパから、日本の船で神戸港に入港し、汽車で東京に戻られたそうですが、やっと日本語が使えたときの喜びは格別だったそうです。

もう一つ、保坂先生の思い出は、「黒パン」です。常に黒パンしか召し上がらないという噂でしたが、多分徹底した健康管理をされていたのでしょう。

学園草創期の苦難の時代を支えてくださり、研究活動も精力的にこなされ、國學院大学から文学博士の称号を授与され、本学卒業生初の博士号授与者となられました。「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」を座右の銘として、生涯学園の発展に尽くされた、大先輩のお一人です。

保坂先生は、2002(平成14)年9月に亡くなられました。写真は、同年の10月24日の「お別れの会」で頂いたものです。もう、あれから16年も経ってしまったのですね。今の昭和をどこかでご覧くださっているでしょうか。

こんなキャンパス風景、見たことがありますか [2018年10月19日(金)]

手前のテーブルには、水筒がたくさん並んでいますね。中央に巨大なバギーカーが見えませんか。これはこども園のお散歩風景です。快晴の秋の空のもと、大学のキャンパスをバギーカーに乗ってお散歩なんて、他の大学では見ることのない風景ですね。

この日は、こども園の子どもたちが大勢で、楽しそうに色とりどりの帽子をかぶって、昭和之泉の庭園をお散歩していました。きっと先ほどの水筒は、この子供たちがテーブルに置いたのでしょう。

次の写真は翌日の朝です。

 

ちょうどBritish School の生徒たちが、レオ広場で朝のスポーツを楽しんだ帰りなのでしょう。三々五々、BSTの教室に戻っていくところでした。
次の写真はお昼休み、昭和の大学生がほとんどいないので、きっと3コマ目が始まった後の時間だったと思います。カフェテリア、ソフィアが12:10から13:10は、大学生で超満員のため、クッキング・カーも2台、出店しています。

プロムナードでは、お天気がいいと、BSTの生徒たちもベンチに座って友達と食事をしたり、おしゃべりをしたりと憩いのひと時を過ごしています。
昭和では、ひとつのキャンパスに、こども園から大学院まで、そしてBritish Schoolもあり、さらには、来年の秋からは西キャンパスにペンシルバニア州立テンプル大学ジャパンキャンパスが移転してきます。ここで学ぶ人の年齢は、0歳からきっと60歳くらいまででしょうか。そして、さまざまに違う文化背景を持つ留学生や、学園で学ぶ園児・児童・生徒・学生達をサポートして下さる社会人の方々など、昭和のキャンパスは、ダイバーシティに富んでいます。
是非皆さん、こども園の園児の様に、時にはキャンパス内を散歩してみてはいかがでしょうか。まだ、足を踏み入れたことのない場所がきっとありますよ。

このヒマラヤスギ、覚えていますか [2018年10月12日(金)]

今年の2月に「世田谷区保存樹木制度」というタイトルのブログでご紹介した、キャンパス内のヒマラヤスギのことを覚えていますか。3号館と学園本部館に挟まれた道に堂々とそびえていました。一番手前にあるヒマラヤスギの幹には、「指定第2741号・平成28年6月17日 保存樹木 樹種ヒマラヤスギ 世田谷区」と書かれた札がつけられていることも紹介しました。

ところが今年の9月に入って相次ぐ台風に見舞われ、9月30日にこの大木が倒れてしまいました。根が深く張っていなかったので、強風に耐えられなかったようです。

保存樹木の指定を受け、将来、末永く大切に手入れをしていこうと計画していたのに、とても残念です。
ここに植えられているヒマラヤスギは、世田谷キャンパスにかつて旧東部第十二部隊(近衛野砲)があった時代からのものです。連隊の本部がちょうど3号館のあたりにあったそうで、その本部前に北白川宮様が来られた際にお手植えをされたという記録もあります。70年以上も太子堂や昭和学園の歴史を見つめていた木。大切にしていたのに、本当に残念です。

建物にぶつかったりせず「迷惑にならないように?」ちょうど3号館と学園本部館の間に倒れてくれたこと、ヒマラヤスギに感謝したいですね。第2742号、そしてその後ろの第2743号には、しっかり根を張ってもらい、創立100周年、そしてその先もずっと、このキャンパスに集う者たちに憩いの木陰を作ってほしいものです。

大学の後期がスタートしました [2018年10月05日(金)]

10月は英語でOctober. “octo”はラテン語の “octavum”(第8)の意味を表しています。変ですよね、10月なのに。実は紀元前にローマ歴が使われていた間、今の3月から新年が始まっていたので、10月は3月から数えると8番目の月になるからだそうです。

さて、10月に入り大学生もキャンパスに戻り、こども園から大学院までの全員が揃いました。テンプル大学ジャパンキャンパスの本学への移転まで、すでに1年を切り、新しいスーパーグローバルキャンパスの創造を目指して、着々と準備が進んでいます。

さて、この写真のような景色、今まで見たことがありましたか。9月末に完成した、学園本部館と1号館の間のロータリーです。

素敵に変身しましたね。今はまだ木を植えたばかりなので、ちょっと周りが寂しく見えますが、すぐに緑の木陰を作ってくれるでしょう。

 

ライトに照らされた夜の景色も落ち着いていて、いいですね。

秋と言えば、いろいろ思い出しますが、是非、読書と勉学の秋を十分に楽しむキャンパスライフにしたいものです。