自然

この花はどこに? [2018年02月16日(金)]

 まだまだ寒い日が続いていますが、日中は日差しが暖かい日もあります。
 今朝、キャンパスを歩いていたら、思いもよらないほどたくさんの花が咲き始めているのです。春が近いことを実感しました。写真と花の名前を紹介します。

                      
(スミレ科のパンジー、ビオラ)                      (ヒガンバナ科の水仙(この品種は雪中花))

             
(ミニュチュア ドワーフ アイリス(アイリスの矮性種)) (日本の三大香木の一つ 沈丁花(じんちょうげ))

             
(カタバミ科のオオキバナカタバミ)                     (チューリップ)

             
       (八重咲水仙)                           (シダレ梅)

                       
(マメ科の常緑種で、原産地は地中海沿岸のロータス ヒルスタス)          (クリスマスローズ)

 雪もすっかり解けたキャンパスに、こんなにたくさんの花が咲き始め、つぼみを持った花もあるのは、とても嬉しいですね。やっと、春の息吹が漂いはじめたキャンパスをぜひ歩いていただいて、どこに咲いているかを見つけてください。

        
(しそ科の常緑樹で原産地は地中海地域のローズマリー)  

世田谷区保存樹木制度 [2018年02月09日(金)]

 みなさんは、キャンパスにある「保存樹木」を見たことがありますか。
  
(3号館前ヒマラヤスギ)

 近寄ってよく見ると、「指定 第2741号・平成28年6月17日 保存樹木 樹種 ヒマラヤスギ 世田谷区」と書かれた札がつけられています。

(ヒマラヤスギに付けられた保存樹木の札)

 世田谷区保存樹木制度は、世田谷区がみどりの基本条例に基づいて、樹木や樹林のうち貴重なものや、街のシンボルとなるものを指定し、樹木保存の援助として手入れなどの支援を行っている制度です。地上1.5メートルの高さがあり、幹回りが1.2メートル以上で、樹形の優れているものという基準があります。
 一方、指定を受けた所有者には、指定された樹木や樹林を将来に割って適切に保存すること、樹木を要綱な応対に保つように適宜、剪定などの手入れを行うこと、という責務があるそうです。
 昭和の世田谷キャンパスには、保存樹木は53本もあります。ヒマラヤスギ、タイサンボク、ケヤキ、メタセコイヤ、楠、イチョウ、モミジバスズカケノキ、イイギリ、コナラ、スダジイ、サトサクラ、ソメイヨシノ等です。53本がどこにあるか、見つけられますか?
 5号館から中高部へ向かうイチョウ並木は保存樹木が並んでいて、秋には素晴らしい景色を楽しむことができます。また、本学は上高田の校舎を戦災で無くし、東京都から「戦災を受けた学校に対しては、希望があれば旧陸海軍施設を転用させる」という通達を受け移転先を探し回り、アメリカ第八軍との外交交渉の末、やっと昭和21年11月8日にこの地への全校移転を開始したという経緯がありますが、3号館前のヒマラヤスギ(写真参照)は、世田谷キャンパスにかつて旧東部第十二部隊(近衛野砲)があった時代からのものです。連隊の本部がちょうど3号館のあたりにあったそうで、その本部前に北白川宮様が来られた際にお手植えをされたという記録もあります。70年以上も太子堂や昭和学園の歴史を見つめていた木、大切にしたいですね。

このイチョウはどこにある? [2017年12月01日(金)]

 先週のある朝、イチョウの葉があまりにも美しく輝いていたので、携帯で撮影したのですが、逆光で葉の輝きまでは再現できていないようで残念です。どこにあるイチョウかわかりますか?

 さて、モミジは赤、イチョウは黄など、木の種類によって何色に変わるかはだいたい決まっていますから、遠くからみても、この写真はイチョウの木だとすぐわかりますね。でも、こうした色はどのようにして決まるのでしょうか。

 2年ほど前に、民放の番組で知ったのですが、その理由は、こうです。イチョウ等、葉が黄色くなるものは、葉に含まれている緑の色素と黄色の色素がふくまれているのですが、秋になって気温が下がると、緑色の色素が分解されて少なくなり黄色の色素が残るために、黄色になるのだそうです。一方、モミジなど葉が赤くなるものは、秋になると、茎の栄養が葉にいかないように、葉の付け根が遮断されるため、葉の中に光合成でできた糖分がたまって、アントシアンという赤い色素が増え、葉っぱが赤くなるということでした。

 でも、何のために色を変えるのかなどは、まだわかっていないのだそうです。自然現象の中には、どうしてそうなるのか知らないことがたくさんあります。でもきっと何か理由があるはずです。秋、私たちの周りの自然も足早に冬に向かって変化します。学園内の美しい紅葉を眺められるのは、今少しの間ではないでしょうか。秋には読書を楽しむのも一つですが、それに加えて、自然の変化を楽しむと共に、その移り変わりを見て、なぜ?と思いを巡らすのも楽しいのではないでしょうか。

 ところで、次の写真は、冒頭のイチョウの木を、角度を変えて撮影したものです。

   
(昭和の泉にあるイチョウの木)

 1枚目は、滝側から、2枚目は庭園「昭和の泉」の入り口から光葉庵を見渡した景色です。紫色のアメジストセージの花と、色とりどりの鯉が、光葉庵と色づいた木々の背景と相まって、授業の途中で一息入れるだけではもったいないくらい優雅で美しい眺めですね。

9号館ウッドデッキに沿うハツユキカズラ [2017年10月06日(金)]

 正門を入ってすぐ左に昨年完成した9号館があります。正面入り口近くの桜もしっかりと根を張り始めました。先週、9号館脇のウッドデッキを歩いて建物の奥にある体育棟に行きましたが、建物に沿って、ハツユキカズラが花壇のグランドカバーとして植えられていました。

(9号館体育棟の脇のハツユキカズラ)

 ハツユキカズラは「斑入り定家葛(フイリテイカカズラ)」とも呼ばれ、小さな葉をつけて、新葉にはピンクや白の様々な形の斑が入るとても可憐な植物です。丈夫で、ゆっくりと成長します。春から秋にかけては濃いピンクから淡いピンクそして白、それから緑色の葉っぱとなり、秋には紅葉も鑑賞できます。十数年前に自宅から持ってきた枝を学園本部前の植込みに移植してもらいましたが、本部前にあるものは、背の高い木が多く日当りも良くないので、あまり目立たない存在のようです。ちなみに自宅のハツユキカズラは、枝をどんどん長く伸ばしてフェンスに絡み、いくら刈り込んでも成長する一方です。毎年夏になると、あまりに成長するので花芽と一緒に剪定をしてしまうためか、白からクリーム色に変化する小さな花は、残念ながらまれにしか見たことがありません。

(自宅のハツユキカズラ)

 根が定着すれば、勝手に成長する植物のため、最近はいろいろなところで工夫され使われています。寄せ植えやハンギングバスケットだけでなく、9号館脇にあるようにグラウンドカバーなどとしても使われているのを目にすることが多くなりました。
 ハツユキカズラは山に自生する、日本や朝鮮半島が原産の植物。名前がとても素敵ですよね。「ハツユキ(ハツユキ)」は白い葉がまるで雪がちらちらと降ったように見えることからつけられました。「カズラ」はつる性の植物のことを指します。もう一つの、「テイカカズラ」という名前の「テイカ(定家)」は、能の『定家』にもあるように、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人、藤原定家が、式子内親王のことをその死後も忘れられず、「定家葛」に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に由来した呼び名だそうです。
 9号館脇は、日当たりもよく、きっと新しい校舎にふさわしい植え込みのグランドカバーになることでしょう。花言葉は『素敵になって』など。9月18日の誕生日花だそうです。

桜が咲いた! [2017年03月10日(金)]

(新体育館に咲く寒桜)

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昭和女子大学のキャンパスに桜が咲き始めました。2月の3週目のことでした。今年一番に咲いたのは新体育館を囲む植え込みの桜です。晴れた空の色に映えてきれいですね。この桜は寒桜という種類で、早咲きで知られています。早いものは1月から咲き始めるそうです。有名な河津桜も寒桜の一種です。枝先からたくさん花柄(かへい)が出て、その先に一つずつ一重の淡い紅色の花がつきます。

学園はもうすぐ卒業式シーズンを迎えますが、今のところ東京では、今年のソメイヨシノは3月24日が開花予定となっているようです。学園を巣立つ皆さんをキャンパスの桜の花が祝ってくれるはずです。昭和女子大学の近く、目黒川沿いの桜並木は一見の価値があります。関東の桜の名所の中では、文京区の六義園に続き、皇居のお堀の千鳥ヶ淵公園と並んで、上位に挙げられています。目黒川は、世田谷区から、目黒区、品川区を通り、東京湾に至るまで約8キロあるそうですが、池尻大橋から目黒に向かって、4キロくらいの間、川沿いの両岸には約800本のソメイヨシノが咲き揃います。渋谷駅に向かうバスが池尻大橋を通り過ぎる頃、ぼんぼりの明かりに照らされて夜空に浮かぶように見える桜並木をちょっとだけ眺めることが出来ます。川沿いのそぞろ歩きを楽しんでいる人たちの姿も見えますよ。

桜と言えば、本学の環境デザイン学科学生の新デザインによるクリアファイルが、ショッププレリュードで発売されました。

リボンに桜の花がついています。背景は日本庭園「昭和の泉」で泳ぐ鯉をモチーフにしたそうです。これからの待ちに待った桜の季節、池の水面も太陽の穏やかな光を受けて、きらきらと光っているように見えます。

「学父の岩」と「学母の岩」 [2016年10月28日(金)]

 「校訓の巌」と呼ばれる創立者記念講堂の横にある青色の油石と同時期に運びこまれたのが、大学5号館の入り口右手に置かれている、「学父の岩」です。
 
(学父の岩)
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 そしてその右隣には、30トンの緑色の石があります。これは、学母人見緑先生の生まれ故郷、四国愛媛県産で、伊豫青石とも呼ばれている石です。

(学母の岩)
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 名前の通り晴れた日には緑色に、そして、雨に濡れると青色に輝き、模様も複雑に変化するように見えます。伊豫青石の産地には昔から有名なお寺も多く、きっと弘法大師や空海も、2億年近く前からさまざまな自然の力を受けて形成されたこの石の岩山を歩いて四国を巡ったのではないでしょうか。紀伊国屋門左衛門の屋敷を岩崎弥太郎が買い取って今は都立「清澄庭園」として開放されている回遊式林泉庭園には、全国から集めた伊豫青石等の名石が数多く配置されているそうで、この伊豫の石は数々の名庭にも景石として使われています。
 
 「学父の岩」と「学母の岩」のそばには、春を告げる梅の花も咲きます。また、二つの岩の前には、サツキが二株植えられていますが、これらはもともと校祖が鉢植えを購入して植えられたものだそうで、35年以上たった今ではしっかりと根をおろし、5月の声を聞くと、可愛いらしい花を咲かせます。サツキは「皐月躑躅(サツキツツジ)」とも呼ばれ、ツツジ科。旧暦の5月(皐月)に咲くことからその名がつき、俳句では「夏」の季語です。ツツジよりやや遅く咲き、6月の終わり頃まで、紅色、ピンク、絞りなどの少し小さめの花をつけます。
 
 学園のいろいろな場所に石や岩が配置されています。7人の妖精を探すのも楽しいことですが、さまざまな謂れのある石や岩を探して歩くのも楽しいのではないでしょうか。
 
(「学父の岩」と「学母の岩」の傍らに咲く梅)
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望秀海浜学寮 [2016年07月22日(金)]

 房総半島の南端に近い館山市に望秀海浜学寮が開設されたのは、1986年の3月、ちょうど本学の女性文化研究所開設の1か月少し前のことでした。「房州」でなくて、「望秀」と書くのは、「秀(たか)き理想を望みつつ励む」の意味が込められているからです。

 「秀」の文字は、「禾(穀物の穂)」と「乃(なよなよする様)」の文字を組み合わせて作られたという説があり、その説によれば、穀物の若い芽が伸びる様子を意味していたそうで、そこから「すらりと高く穂や花になる芽が出る」、「すらりとぬきんでた穂」「すらりと高く出る」「ほかの人よりすぐれる」ということを表し、「秀でる」とか「優れる」という意味になったということです。ですから「秀き」と書いて「たかき」と読むのは、少々苦しいかもしれませんが、本学で学ぶ者へのに「秀でた理想を望みつつ(目指して)、学生生活に励んで欲しい」という呼びかけの気持ちを表した名称なのです。
 
(望秀海浜学寮の建物)
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(望秀海浜学寮から見る那古の海)
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 本学を卒業してすぐに昭和女子大学附属中高部でしばらく教鞭をとりましたが、その後アメリカに留学、修士が終わって中高部に戻ったのが1977年でした。その年に東明学林が出来ましたから、私が大学生の頃は、茅ケ崎海岸にあった湘南学寮や大磯にあった鴫沢学寮で学寮研修を経験しました。多分、1週間~10日間の宿泊研修で、はっきりと覚えていないのですが、夕食も交替で学生が調理したように記憶しています。鴫沢寮での学寮が終わると、帰りには西行饅頭をお土産に家に持ち帰るのを両親も楽しみにしていましたし、湘南学寮では、海岸散歩と称して茅ケ崎の高級住宅地にある有名な俳優や歌手の家を皆で探すのも楽しみでした。
 
 さて、話を基に戻すと、望秀海浜学寮ができる以前から、中高部では千葉県館山市那古の数件の宿に分泊して研修をしました。研修中に必ず船形の灯台をめざして鏡ケ浦の海を泳ぐ遠泳と、那古観音での盆踊り大会がありました。望秀海浜学寮が建つあたりは、戦国の武将・里見氏を題材に書かれた滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」ゆかりの地で、盆踊りで観音様の境内に集まると、必ず、南総里見八犬伝の話を聞いたものでした。そして、那古観音から見下ろす船形、館山の町の夜景の美しさは今でも心に焼き付いています。もう一つ必ず海浜学寮で行われた行事が、後に昭和の寮が建つという広大な土地の草むしりでした。私は中学校から昭和に入り、中1から高2まで毎年、そして、高3でも中央委員として下級生のお世話をするために夏季寮に参加したので、6年間、麦わら帽子をかぶり太陽がカンカンと照る中で草むしりをしました。でも今では、友達と一緒に作業をしたことが楽しい思い出となっています。学生の皆さん、私たち先輩が汗を流しながら草むしりを何年も続けてできた望秀海浜学寮です。是非、東京のキャンパスではできない活動を取り入れて、有意義に過ごしてください。
 
(望秀海浜学寮に咲くオオマツヨイグサ)
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 そういえば、夏季寮の楽しみを、もう一つ思い出しました。オオマツヨイグサの花が夕方にポッという音を立てて開くのを聞くことです。海岸からの帰寮の順番が最後になり、日が落ちかけてから旅館まで歩いて帰る途中で、小さくポッという音を立てて開く黄色い花を見つけて感動しました。学園のキャンパスのところどころにも、オオマツヨイグザが咲いています。夜に花が開くと次の朝には萎んでしまうので、自宅で咲かない限り、なかなか音を聞くのは難しいかもしれませんね。

カルガモ親子 [2016年07月01日(金)]

 創立70周年を記念して造られた日本庭園「昭和之泉」。毎年、カルガモ親子の姿が見られるのを心待ちにしている方も多いことでしょう。カルガモは渡り鳥ではないので、1年中日本にいますが、移動はするのだそうで、昭和で生まれた雛が成長して必ず昭和のキャンパスに戻るという訳でもないようです。

 カルガモの親は5~8月に水辺の草むらに巣を作り、卵を産むと2~3週間程じっと卵を抱きます。雛が孵ると、その日のうちか翌日には全部が母親の後について巣を離れるそうです。その理由は、親が巣に餌を運ぶことがないためで、多くの場合は水辺の食べ物のある所に雛を連れ出します。運が良ければ、ちょうどその頃、カルガモのかわいらしいよちよち歩きに遭遇することが出来るのですね。雛は、はじめはまだ飛べないので、水上にいれば少しは安全ですが、カラス等に襲われることもあり、昭和之泉近辺で生まれたカルガモの雛も何回か被害に遭っています。そういう訳でカルガモの親子は、いつもキャンパス内の同じところにいるとはかぎらず、昭和之泉の光葉庵の裏にいたり、3号館の前や旧体育館前に現れたり、と神出鬼没です。
 
(昭和之泉のカルガモ※昨年のもの)
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 東京大手町の三井物産本社近くの人工池あたりの再開発のために、それまで毎年話題となっていたカルガモの雛のよちよち歩きのニュースを聞かなくなって久しいのですが、2020年にはそのあたりの再開発が完成し、2021年には、カルガモが憩える新しい池も整備される予定だという報道が最近ありました。近くの公園や小川に移転していたカルガモもきっと戻ってくれることでしょう。
 
 ところで、カルガモはどうして1列に並んで母親の後を歩くのだと思いますか。面白いことが分かりました。まず、生まれたらすぐに雛が親鳥の後について歩くのは「インプリンティング(刷り込み)」のためです。これは、動物の成長過程のある時期に、特定の物事が短時間に覚え込まれ、それが長時間持続する学習現象のことを指します。カルガモの雛も、生まれてすぐに見たもの、動いているもの、そして、音を出すものの後を追って行くという追従反応と呼ばれる行動をとるそうです。こうして、生まれてから1か月間位、母親について歩くことで、エサの食べ方や危険から身を守る方法を学ぶのだそうです。さてそれでは、なぜ1列で歩くかというと、それは本能的にその方が安全だからだとか、横から外的が来ることを想定していないからだとも考えられています。ガンの仲間の雛は、カルガモのように一列になって歩く習性を持っているようですが、その順番は決まっていないとか。体力のある雛や注意深く母親の行動を見ていて素早く動きの変化を察知できる雛から順番に、親の後ろに付いて歩くのではないか、と説明する人もいます。
 
 そういえば、列の後ろの方を歩く雛たちは、「迷わないでちゃんとついていけるかな?」と心配しながらそのよちよち歩きの行列を見守った経験のある方が多いのではないでしょうか。昭和乃泉やその近くのキャンパス内で、今年もカルガモの親子の行進が見られることを皆さんと一緒に楽しみに待ちましょう。

昭和学園のバラ [2016年06月10日(金)]

 最近、キャンパスのあちらこちらに、美しいバラの花が咲いていたのに気づきましたか。
 80年館の東側入り口の壁や西門に行く手前の中高等部側の通路わきに、薔薇の垣根ができています。そして見事に赤いのつぼみがつき、花を咲かせてました。この垣根づくりは、坂東理事長が昨年提案して下さったものです。
 
(西門手前の薔薇の垣根)
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 学園には薔薇にまつわるこんな話があります。
 昭和学園がこの太子堂にある陸軍基地跡に移転したのは1945年のこと。第2次世界大戦直後のことで、廃屋同然の兵舎や防空壕がたくさんあった荒野だったそうです。そこに赴任されたのが、後の第2代理事長、第5代学長の人見楠郎先生でした。ベニヤ板に墨汁を塗った黒板、ガラス窓もない殺風景な教室で、創立者人見圓吉先生ご夫妻と20数名の学生との学園作りが始まりました。でも作業は大変でした。そんな中のある日、その殺風景な教室にたった一輪、小さな薔薇を飾ったところ、学生達に笑顔が戻ったのだそうです。もちろん当時の学園は貧乏でした。卒業生を送り出す時に、何も記念になるものも贈ることができません。そこで、楠郎先生が思いついたのが、薔薇の苗木を育てて、卒業生の胸元を飾ることだったのです(詳しくは『創立八十周年を迎え 昭和学園を語る』人見楠郎著を参照)。そして、少しずつ挿し木を続けて株を増やし、その後もたくさんの卒業生を祝福することになりました。
 
(昭和30年 校舎火災後の焼け跡を片づける学生たち)
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 最近は次々と素晴らしい教室棟や研究棟が建ち、昨年までは、薔薇は日本庭園にちらほら残っているだけになっていました。今年、美しく咲いた薔薇の花を見ると、この地に移転してきた70年も前の先輩や先生方が大変な苦労に耐えて学園を育ててくださったことを思い、感謝の気持ちでいっぱいです。そして、私たちは、これから50年、100年先の後輩に何が残せるのでしょう。是非皆さんにも一緒に考えて欲しいと思います。

[2016年04月01日(金)]

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 皆さん、こんにちは。今年の4月1日から学長に就任しました金子朝子(かねこともこ)です。昭和女子大学、附属の中高部を卒業しました。本学の様子や学生の皆さんの活躍など、学園生活の中で気づいたことを綴ってみたいと思います。

 昭和女子大学のキャンパスには60本近くの桜があります。校歌に歌われている八重桜も、色々な種類が20本以上もあるそうです。新体育館の裏道沿いのソメイヨシノは50年以上も花を咲かせています。山桜に接木をして育て、寿命は平均50~60年程とのこと、100周年を迎えてもきっと見事な花を咲かせてくれることでしょう。昨年開園された昭和こども園の道沿いに植えられた桜が成長すると、西門を出て左に曲がり学生会館まで、美しい桜並木が続きます。アメリカの海外キャンパス「昭和ボストン」にも桜を植樹しました。ポトマックの桜のように、近隣の方が桜の花を楽しんでくださると嬉しいですね。

 ところで、昭和女子大学の校章は桜です。写真のどちらが大学生の皆さんのものですか。「大學」の文字が中央に書かれているAですね。国花の桜の花びら5枚に、3本ずつの雄芯(おしべ)があり、中に日本古来の伝統を示す「八咫鏡(やたのかがみ)」(三種の神器の一つで天照大神が自分の姿を映したと言われる)が描かれています。日本を代表する女性になろうという決意を表したもので、創立以来、私も含めて9万人に及ぶ先輩たちがこの桜の校章を付けて昭和学園で勉学に勤しみました。

 「昭和」の文字のあるBの校章は式典などで使われ、こども園から大学・大学院まで含めた「昭和学園」全体を表します。またこれは、附属の校章としても用いられています。

A. 大学の校章
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B. 附属校と式典用の校章
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