ことばの移し替えが〈翻訳〉ではありません

〈日文便り〉

Maria Kuwahara Smoldersさん(オランダ・アムステルダム在住)は、
遠藤周作「わたしが・棄てた・女」をオランダ語訳(Het meisje dat ik achterliet )し、
2019年1月に出版なさった方です。

5月9日(木)4限、日本文学Ⅱ(近代C)遠藤周作の授業に、
マリアさんと、夫 桑原英郎さんをお招きし、
事前にお伝えしていた学生たちの質問にも答える形で、翻訳にまつわるお話をうかがいました。
マリアさんは、国際基督教大学で日本語、 日本文化を学び、
在日オランダ王国大使館文化部に 2011年まで勤務なさっていたので、
流暢な日本語でお話しくださいました。

翻訳の学校に4年間通い、出版社の人から勧められ、ご自身も好きだったので、
遠藤周作「わたしが・棄てた・女」を訳すことにしたマリアさんは、
英訳本・仏訳本を参考に日本語からオランダ語に訳したとのことです。
「自然なオランダ語になるように訳す」ことを大切にし、そのためには、さまざまな困難があり、
工夫を凝らすことが必要だったと語ってくださいました。
文化への深い洞察も必要だったそうです。

以下、お話をうかがった学生たちの感想です
(皆、強い印象を受けたのでしょう、たくさん書いてくれました)。

〇翻訳者というのは、原作者と読者を繋ぐ存在ですが、その際に両者の意図を汲んだ上で
作品を作り上げるというお話が印象的でした。
日本独自の考えや思想、文化を尊重しながら、読者であるオランダ語話者が
読みやすい文章をつくるというのはとても繊細な作業なのだと実感させられました。
また、日本語話者である我々が読んでも疑問に思わない、そのまま流して
読んでしまうような部分も他の言語話者の方から見ると矛盾が生じていると感じたり、
違和感を覚えたりするということを改めて認識する機会になりました。

〇言葉の意味を訳するだけでも大変なことなのに、文字の形(例えばンとソ、体と休)なども
意識しなくてはならないのはもっと頭を使わなくてはならないことだと思うので、
翻訳は本当に難しいものなのだと思いました。

〇日本語からオランダ語の翻訳にあたって苦労した言葉、
こたつや雑炊といった日本特有の物の名前はある程度予想していましたが、
感嘆詞の表現がシンプルゆえに難しいということは、日本人だと気付きにくいなと思いました。

〇「ン」と「ソ」の違いをどうするかというのも面白い問題でした。
色々なやり方がありそうですが、なるべく元を崩さずにアルファベットで表そうとすると、
スモルデスさんが言っていた通り、「n」を「m」にして「enokem」などが妥当なんでしょうか。
講義中はすっかり失念していたのですが、ネイティブのオランダ語を話してもらえば良かったです。
聞いたところで理解はできないのですが、他の国の言語をナマで聞く機会はほとんどないので、
せっかくのこの機会に質問しておくべきでした。猛省です。

〇翻訳と聞くと、ただ淡々と別の言語に訳していく技術的で単純なものだと思っていたのですが、
家族の方と協力したり、遠藤周作学会の方に相談したりと長い時間をかけて
試行錯誤を繰り返しながら完成させていくものなのだと知り、驚きました。
その為、「遠藤周作が書いた本を翻訳したものではあるけれど、
このオランダ語に翻訳した本は私が書いた本だと言いたい」とお話しされた理由が分かりました。

〇ただ翻訳するのではなく、読者に読みやすく翻訳するということがわかりました。
日本にしかない表現をオランダ語で表現することの大変さも知りました。

〇今回の講義は非常に新鮮な体験だった。初めて翻訳家のお話を聞けたこともあり、
実際に触れてみないと分からない他言語と日本語の「差」を感じることが出来た。
マリア・スモルデルス氏はこの「差」を「レアリア」と表現していた。
実際の体験ではないため、想像でしか補完できない文の世界というのは、
この「レアリア」つまり「言語外の共通認識」の理解や表現が特に難しいのだろうと思った。
「レアリア」についてスモルデルス氏が出した例えに
「日本にあってオランダにはないもの」があったが、その話を聞いた時、
私はもっと細かい事象も「レアリア」に含むのではないかと考えた。
例えば現在の日本ではメロンはフルーツコーナーに置いてあるが、
別の国では野菜コーナーで売られているかもしれない。
こういった認識の違いを、翻訳上の表現に取り入れるのは至難の業なのだろうと思う。
こういった難しさは、日本語、他国語といった枠組みに関わらず、
文化圏や国の数だけ存在するのだろう。日本文学翻訳の難所は文法にあると
個人的に思っていた為、「レアリア」の存在は思わぬ要素だった。
今後翻訳された文を扱う際は、意識してみたいと思う。

〇以前から、一人だけ出身が違うキャラクターが喋るときの話し方を決める方法は
どのようにするのか気になっていました。
そして今回、韓国人と思われる金さんのカタコトの日本語を、
カタコトのオランダ語にするのは難しく、更に読者が自然なオランダ語に
感じられるようにした苦労についての話が印象に残りました。

〇今回お話を聞いて、はじめに思ったことはカタコトの日本語、名字の順番など
スモルデスさんのこだわりがとても強いことでした。
オランダ語の本を読む人が自然に文章を読めるように、というオランダ人への配慮と
作品の愛が素晴らしいと思いました。また授業の中でも
疑問点をいくつか出しているところからも、すごく深いところまで
読み込んでいると感じました。日本語のリズムや、雑誌掲載だったための
繰り返される説明の描写について一筋縄ではいかなかったこと、
そしてニュアンスの問題など一つに翻訳と言っても様々にあるのだと知りました。

〇外国の本を翻訳するにはその国に寄り添わなければ書けないのだなと思いました。

〇マリアさんはさまざまな言語で本を読んでいて、それぞれの面白さがあるということを受けて、
日本語しか話したり、読んだりできないことに対してもったいないなと思いました。
1つの文章を読むのにも、その言語によって感じ方や表現が異なるため、
私もそのようなことができるようになりたいと興味を持ちました。

〇 一番大切にしたのが、オランダの人が実際にマリアさんの本を読んだとき、
ごく自然に読めることだ、と話されているのが、印象的だった。
翻訳をするという、本来の意味や意義を見つけた気がした。

〇本についての話しかないと思っていたので、意外にもこの会で様々な文化や言葉の違いを
気付かされて、とても勉強になった。
言葉の魅力というのは、やはり世界共通の偉大なものだと感じた。

〇私はこれまで「翻訳」という仕事に対して外国語ができればこなせるものだと
思っている節がありました。しかし、今回翻訳をする上での言語特有の表現や文化の違いによる
壁を感じた部分があるという具体的なお話を伺い、考えを改めました。
遠藤周作本人はすでに亡くなっているにも関わらず、今もなお日本文学が
世界でも読み継がれていると知り、喜ばしく思います。
書物を手に取りやすい環境を作りたいという夢がある私にとって今回のお話は
大変勉強になりましたし、今後は自ら積極的に
海外の文化に触れる体験をしていきたいと思いました。

(FE)