映画『ドリーミング村上春樹』ニテーシュ・アンジャーン監督特別講義 [2019年12月05日(木)]

<日文便り>

村上春樹作品の翻訳家メッテ・ホルムを追ったドキュメンタリー映画『ドリーミング村上春樹』(10/19〜全国公開)の公開に合わせ来日したニテーシュ・アンジャーン監督を招き、「日本文学Ⅱ(近代A) 中・短編小説を読む」内において、10月17日に特別講義を行った。

世代的に、そこまで村上春樹作品に馴染みのある受講生ばかりではなかったものの、村上春樹作品に魅入られたメッテ氏やニテーシュ監督が、その世界観をどのように描き出そうとしているのかといった話や、監督が素材をどのようにカメラに収め、またそれをどのように作品として成立させているのかといった、映画を撮る過程の話などに強く興味を惹かれたようであった。
そのため、最後の30分に行われた監督と受講生の質疑応答の場は非常に活発であり、監督の講義に触発された質問が絶えることなく提出された。そこでは、製作に関わる具体的な質問をめぐってのやりとりに加え、母国語と他言語といった文化的越境や、言語と映像といった表現媒体の差異に関わる議論も為されていった。
講義後には、〈映画を実際に観ようと思った〉〈村上春樹作品を改めて読んでみようと思った〉といった声も多く聞かれ、具体的には以下のようなコメントが寄せられた。

・翻訳、通訳とはその裏にある文化や歴史を知らないと、結果的にはその意味が通らないことを知った。

・翻訳者は現実世界と作家、作品の世界(この場合は村上の世界)を媒介する存在だということに気付いた。

・「翻訳者であるメッテさんを通して村上春樹の幻想的な世界を表現したかった」という監督の発言が興味深かった。「コミュニケーションで言葉の壁は重要ではない。それはもっとも表面的なものであり、より重要なのはボディランゲージや目の表情だ」という発言は多言語を扱うニテーシュ監督の言葉であるから説得力があった。

・「計画的に撮ったものより、偶然に出会ったものを撮った方が面白くなった。しかし、こういう副作用は計画があってこそだ」という発言が印象的だった。

・今日の講演を聞いて、本を読むうえで大切なことは理解することではなく、どう感じるかのではないかと思いました。

これらからも窺えるが、監督の熱意に大いに刺激を受けたようであり、非常に貴重な機会となった。

(山田夏樹)