江戸時代の絵を観る ― 「文学と美術」授業のひとこま ―

<授業風景>

画像は、「文学と美術」(日本文学Ⅰ・近代B)の授業風景。
近代の前に、まず江戸時代の美術のことを知ってもらおうと、尾形光琳の「燕子花図(かきつばたず)屏風(びょうぶ)」(18世紀作、国宝、根津美術館蔵)について、話をしているところ。

金箔の地に、群青の花と緑青の葉を連続して、燕子花の群生を描いた「琳派」の名品、代表作ですね。
この華麗な絵は、実際の景色を写したものではなく、想像上の景色で、しかもその想像を喚起した有力な典拠があります。
「伊勢物語」の「東下り」(第九段)に、都を出た男が、三河の国八橋というところで詠んだ、
「か」らころも
「き」つつなれにし
「つ」ましあれば
「は」るばるきぬる
「た」びをしぞおもふ
という和歌を踏まえて、描かれたのがこの屏風なのです。
古来、「かきつばた」は「伊勢物語」とともに思い出される花となっていました。
光琳は背景に「伊勢物語」の世界を取り込むことで、いわば文化的な伝統を〈継承〉したわけです。
別図に燕子花へ八橋を描き込んだ屏風(現メトロポリタン美術館蔵)もあります。

むろん、この絵の背景に「伊勢物語」のあることを知らなくても、絵の鑑賞は可能ですが、「かきつばた」の和歌にちなむ造形であるのを知ったとき、わたしたちは、光琳の江戸から、さらに時代をさかのぼって、平安の王朝物語の世界とつながることができる。
光琳の絵は、現代に王朝の昔を蘇らせる「変換器」だといってよい、その証拠に、それから約百年後、光琳を慕う「江戸琳派」の酒井抱一もまた、同じ構図の燕子花の絵をたくさん描きました。

ちなみに、夏目漱石は明治40(1907)年の4月に京都でこの屏風を観ています。
「日記」には、
光琳の杜若(かきつばた)の金屏。杜若の紫花累々たり。緑葉抻々たり。
金色のうちに埋まる。
と書いています。「抻々」とは「のびのびとしたさま」、「金色のうちに埋まる」とは、いかにもこの絵の特徴を表わしています。
さすがに漱石と言わねばなりません。

科学技術(テクノロジー)は、時代が進めば、常に更新されて、以前のものは確実に古びて行きますが、文学や美術では、昔のものが古びるということは決してありません。
むしろ、光琳の絵のように、時代をさかのぼることによって、その時代を越えた「新しい」世界の「発見」がもたらされる。
その「発見」こそが文芸を学ぶ意味なのだ、ということを理解するきっかけを提供するのが、この授業でありたい、と思っているのです。

江戸時代の美術の話が終ったら、いよいよ明治以降の近代に入って、「夏目漱石と美術」「芥川龍之介と美術」についてお話しします。

(吉田昌志)