「子どもが好き」ということ

 

「なぜ教員を目指すの?」
学生
「子どもが好きだから」
「なるほど、子どもが好きだから、先生になりたい! とてもシンプルでよい答えだ。では、「子どもが好き」なのはなぜ?」
学生
「子どもはかわいいから」
「確かに「子どもがかわいい」という気持ちはよく分かる。果たして、どんな子どもでも、かわいいと言えるだろうか? あなたが話しかけても見向きもせず、あなたに向かって暴言を吐いたり、あっち行け、と言ったりされても、その子どもがかわいいと言えるだろうか?」
学生
「・・・・・」
「かわいいというのは、だれにとってよいことなのだろう。あなたがかわいい子どもを見て、良い気分になっているだけではないかな? それは、ペットの子犬を見て「かわいい」と言っているのと、何が違うのだろう?」

1年生の教職概論の最初の時間の学生とのやり取りです。
実際には、学生はもっと多種多様な、考えさせられる深みのある答え方をしてくれますが、話をわかりやすくするために、少々単純化して紹介しました。

「子どもが好き」というのは、教職を目指す者の動機として、とても自然です。

しかし、この気持ちと、教師がもつべき「教育愛(教育的愛情)」とには、かなり隔たりがあります。

教師は、どんな子どもであっても分け隔てなく愛情を注がなければなりません。

これは、言うのは簡単ですが、なかなか難しいことです。教師も人間ですから、話しやすい子と話しにくい子がいます。でも、決して、そこで立ち止まってはいけないのです。

どの子とも平等に公平に接する、それが教師のもつべき「教育愛」です。
この愛は、どんな人をも照らす太陽に例えられます。

 


 

古代ギリシア語で「愛」を表す言葉として有名なのが、フィリアとエロスとアガペーです。
簡単に言うと、フィリアは友愛、エロスは性愛、このふたつは、与える愛であると同時に求める愛でもあります。

これに対して、アガペーは、一切の見返りを求めない無償の愛、純粋に与える愛です。

「教育愛」はアガペーが理想ですが、神ならぬ人間である我々が、この愛をもつのは、容易ではありません。

私自身、中学校と高等学校の教員からはじまり、教壇に40年以上立っていますが、「あなたに教育愛があるのか」と問われると、考え込んでしまいます。

ただ、振り返ってみると、自分のクラスのどの生徒にも、やっと同じように話しかけることができるようになった、と思えたのは、教員になって10年目のことでした。その時初めて、私は「教師として、これからもやっていける」と思えたのです。

(初等教育学科 教授 鈴木円)

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