現代教養学科 ブログリレー ― 天笠 その2―

15年前の自分

こんばんは!教員の天笠です。

ブログリレーの順番が回ってきたのですが…さて、困りました…。何を書こう。悩んでいたら、窓の外には稲光が!ますます不穏な空気ですが、頑張りたいと思います。

専門分野に寄せて、コロナ自粛期間中のメディア事情のことでも書こうか。それとも、自分の研究の手法的な核になっているフィールドワークのことを語ろうか。それとも。学科のコト?シム先生の「教養とは?」の話も素敵だったしなぁ…。と考えていたら、思い出しました!

私、院生だった15年前、当時在籍していた大学の広報誌に、学生メンバーとして編集していた友達に頼まれて「教養」をテーマに記事を寄稿していたんです。確か、雑誌のその号のテーマが「教養」で、研究の現場にいる院生の立場で800字くらいで語って!と頼まれたのでした。今考えると、結構難しいフリで、さんざん悩んで、書き上げたのを覚えています。色々掘り出していたら、なんとその記事が出てきたので、恥を忍んで、以下に公開したいと思います。私を知っている学生のみなさんからみると、その変化も面白いと思うので。

いやー、若いというか尖っているというか、パンクというか…生意気なことを言っていますね(笑)こんなことを書いていたら、なんの因果か「教養」を名乗る学科で、教員をすることになっていました。人生、わからないのものです。

ただ、文章力や書き方の問題はあるものの「現代の教養」に対する根本の思いは、あまり変わらないことに気づかされます。社会ではなく、誰かではなく、自分自身の「あるべき姿=教養」を自問自答し続けられるような、知識とスキル、そして姿勢を身に着けられる学科でありたい。そう思います。

とてもとても、高いハードルだと思います。でも、しっかり、私自身にも、問いかけ続けたいと思います。「あなたが今『教養』だと思って、学生と共有しようとしていることは、あなたと学生の目の前に広がる未来で『教養』なのか?」

このようなどんどん未来が不確かになる社会の中では、そうやって進み続けるしかない。…という教員の決意表明でした!

 

『「現場」で脱ぎ捨てるべき、教養』(天笠, 2005)

辞書は「教養」の意味を、「理想」「理念」といったキーワードを用いて語ります。ここから連想される「教養」は身に付けるべき目標、人の「あるべき姿」です。しかし、裏返せば「教養」は「持つ者」と「持たざる者」を峻別し、差異化を促すツールともいえます。

この差異は、特定集団の特権を正当化、人々の向上心を煽り、社会に近代的秩序を与えてきました。「教養」はイデオロギーであり、高度に政治的な道具なのです。更に言えば「教養」には中身がない。これが「教養」だ言い切れるモノが存在しません。「あるべき姿の入れ物」が「教養」なのです。これは、中身を自分で作れる分、「教養」を利用する側に取っては好都合です。これは、「教養」に限った話ではないのですが、あるべき姿・イデオロギーを含んだ概念には、そのゴールの良し悪しに関わらずある種の難しさが付きまといます。自分の研究分野であるメディアと絡めて話をすると、インターネットの「自律分散協調」が良い例です。「自律分散協調」という理念にモチベートされた技術者たちの手により爆発的な普及を果したインターネットですが、その理念は現在、「自律」の難しい多くの人々の参加を阻害し幅広い層への普及の障害となっています。イデオロギーを持たず、より早く幅広い層に普及したケータイと好対照です。僕たちは、「教養」が生み出す構造に対して、自覚的にならなければなりません。

確かに大学・学会でのアカデミックな活動には、必要不可欠な「教養」ですが、実社会に対するアプローチではむしろ邪魔になる。経験談ですが、僕が学部時代からずっと参加してきた地域活動では「教養」を振りかざしては、自分と地域との間に壁を作るだけです。「教養」は身に付けるのに、高い代償が必要な分、捨てるのには勇気が要ります。しかし特に大学という環境では、逆説的ですが「教養」を脱ぎ捨てる「教養」も必要なのだと思います。

※ 一部固有名詞の部分だけ改変しています。

 

この文章を書く1年前くらいの自分です。なぜ、雪山で黄昏ているんでしょう?一応これでも卒業旅行なんです。失われた10年と言われた時代のにおいなのか、自分の性格なのか…