必修科目【社会をみる目】で「体験」の大切さを学びました

現代教養学科には「社会をみる目」という必修科目があります。授業では「権力」「犯罪」などの大きなテーマから「学校」「就活」などの身近なテーマまで幅広く学び、社会を見極める力、つまり自身の「目」を鍛えていきます。7月5日の授業では、アメリカでロイターの記者として働きつつ、映画監督として活動している我謝京子先生にお越しいただき、日本とアメリカの違いを基に今後来るグローバル社会について講義していただきました。講義の前半は、我謝先生が体験した日本とアメリカの文化的違いと経験したことによる自身の変化についてお話していただきました。我謝先生は十代の頃、アメリカに留学し、「空気を読む日本(高コンテクスト)」と「言葉を使うアメリカ(低コンテクスト)」の違いに悩んだそうです。アメリカでは自ら発言していかなければ意見のない人間だと思われます。この現実に危機感を感じた我謝先生は、英語を勉強し必死に食らいついていき、留学が終わるころには自身の意見をはっきりと伝えられる人間に成長しました。しかし、日本に帰ると、意見を主張することで母親と言い合いになることが増え、周りの「意見を言わない・言えない空気」に違和感を覚えるようになったそうです。

このような文化的違いが発生する原因として「不確実性の回避」と「集団主義・個人主義」が講義では挙げられました。不確実性の回避とは、上手くいかなかったときに恥ずかしい、恥をかくくらいなら黙っていた方がいいという考えから、自身の意見など不確実な話を避けたがることを意味します。日本人はこの傾向が強く、アメリカ人はこの傾向が弱いそうです。もう一つの集団主義・個人主義とは、日本とアメリカの社会形態の違いを指します。日本人は集団を意識し、和を崩さないために自身の意見を出さないことがあります。一方、アメリカは宗教や民族が異なるのが当たり前なので、個人の存在が強く、コミュニケーションが重要になってきます。

前半の話を基に、後半ではグローバル時代についてのお話をしていただきました。我謝先生は「今はインターネットで他人と繋がることができ、様々な体験談を読むことができます。しかし、それは“他人の体験”であり、自身のものではないです」「多くのことを経験することで自身の好きなことが分かります」と体験の大切さについても私たちに語ってくださいました。
講義終了後の質疑応答の際、筆者は「クローバルな人材」とは具体的にどのような人なのか質問しました。我謝先生は、心を開き、他者の話を聞いて「へ~」と言える、文化の違いを否定しない人間がグローバルな人間であると回答してくださいました。学生の質問すべてに丁寧に答えてくださり、多くの学生が勇気を出して「不確実性の回避」を回避して質問することができました!
今回の講義を受けて、筆者は体験することの大切さを学び、不安や恐怖を理由に諦めることはもったいないことであると思いました。コロナの流行により新しいことへの挑戦が難しくなってしまいましたが、ネガティブにならずにできることを探し、挑戦し続ける大学生活にしていきたいと強く思いました!我謝京子先生、講義の準備をしてくださった教職員の皆様に心から感謝いたします。

記事:1年・谷口