【コラム】おじさん構文から考える「教養」

こんにちは。現代教養学科でソーシャルメディアを教えている「おじさん」こと、天笠です。

おじさん構文が話題に!

今メディアで「おじさん構文」が話題になっています。なんでも、shimeji(=バイドゥ)が行った調査によると、Z世代が気になるおじさん構文の特徴は「1位:絵文字・顔文字・記号の多用」「2位:文章中にカタカナを乱用」「3位:1度に送る文章が長い」とのこと。おじさんの域に入ってきた私も、スゴーク心当たりがあります…。

私のゼミのグループラインの一コマ…長文を連投してしまっています…ごめん。ゼミ生。

1位の絵文字・顔文字の多用は、そこまででないかもですが、ガラケーメールの名残か、m(__)mとか使いガチですし、2位のカタカナの乱発は、私よりちょっと上のバブルな方々に多そうなイメージですが、3位の1度に送る文章が長い…は、すごくドキッとしました。長い文章ばかりLINEで送っているゼミ生のミナサン、本当にm(__)m …と、書いているこの文章自体が十分にナガイですね…。

でも、実はZ構文もあるのでは?

と、反省することしきりなのですが、同時に大学教員をやっていると、Z世代にありがちな、Z構文的なものもある気がするのです。それを特に感じるのはレポートの採点時です。ごく主観的なZ構文の3つの特徴を挙げるとすると、以下の3つになるかなと思います。

  1. なんなら、レポート1本の中で、一度も改行・改段落がない=永遠に続く長い段落
  2. 簡潔すぎる箇条書き(主にプレゼン)、まとめすぎるまとめ(最終的に自分が「気を付ける」で終わる)=「それな」的まとめ
  3. そもそものレポートに名前や学籍番号の記入がない=名乗らない

これだから、今の若者は…というつもりは、私はありません。それをやってしまうと、世間でいうおじさんと同じ立場にZ世代の皆さんを置こうとする、対立をあおることになっちゃいますので。ただ、なぜこういう世代に特徴的な構文が現れるのか?ということは真剣に考えてみてもよいと思うのです。

背景にはメディア上での時間間隔の違いが!?

学術的なしっかりとした検証も必要かと思いますが、仮説のレベルとしては、それぞれの世代でのメディア利用時の「時間感覚の違い」が、原因の一つとしてありそうだとは思っています。

Z世代の場合、同じメディアを使う場合でもよりリアルタイム感(学術的には同期性といったりします)を大切にして、その流れや感情が共有された状態(ノリやグルーヴ感)を壊すのを嫌がる傾向が強いように思います。

これは、私の授業でもよく触れることなのですが、Z世代より前の世代は、仲良くなってからノリを共有する傾向があるので、仲良くなるために最初に多くの自分に関する「意味を持った」情報を渡そうとするといわれています。語り合えば互いに理解しあえる…という希望がまだあるのですよね。

でも、Z世代以降は、ノリを共有してから、仲良くなるといわれていて、まず、同じテンポで乗りあえる(コミュニケーションがとれる)かが仲良くなるための前提になっている。という訳です。ある意味、多様化の中で、簡単に互い理解しあえることを潔くあきらめているとも言えます。という観点でいうと、リアルタイム感の崩壊はコミュニケーションの失敗と直結しちゃうのですよね。

リアルタイム性から、Z構文を考える

そう考えると、私がZ構文として挙げた特徴も、理解できる気がします。改行・改段落のない文章は、話すように書いてしまうから。そもそも、ことばで話すときには、改段落(意味の区切れ目)みたいなものは、相手の反応がない限りなかなか意識しないわけで、相手から反応のない会話のように、しゃべり続けてしまうと、(1) みたいな特徴は出てきちゃいますよね。

また、まとめすぎる現象も、リアルタイムの流れを止めないっていう意味では、コミュニケーションの相手が、それはちょっと違うな~と思ってしまうようなまとめかたより、ザクっと大きくまとめて、「それな!」って言い合えるようなコミュニケーションの方が、諸々円滑だったりするので、その延長線上かなと。

最後の「名乗らない」は、リアルタイムにコミュニケーションをするためには何かしら(LINEやTwitterなど)のプラットフォームが必須になるので、今のコミュニケーション環境の中では「名前の表示」は前提なんですよね。

おじさん構文が生まれる訳

おじさん構文は、その意味ではZ構文の対極にあるのだと思います。つまり「リアルタイム性、ノリやグルーヴ感を前提にせず、コミュニケーションを成立させる工夫」に満ちた文章。とも言えなくはないわけです。

ノリを共有できないなら、言葉の意味で共感を得るしかないわけで、そのためにはどうしても言葉が長くなってしまうし、それをスムーズに呼んでもらうためには、文章を構造化(段落化)するしかなくなってしまう。ただ、それによって、固く見せるのを防いで、オリジナルの文章としての自分らしさやニュアンスを出すために、絵文字や顔文字、カタカナが多用されることになる。

ある意味では、今ほどリアルタイム性がなかった、ガラケー時代のメールでのコミュニケーションの中で生まれたクリエイティブな工夫が、そこには詰まっているわけです。その先には、長文で自分の思いを伝えるという、手紙や随筆、論文などの論理的文章などにつながっていく。とも言えると思います。

現代の教養として…おじさん構文、Z構文というのやめませんか?

ということで、こういうコミュニケーションパターンの違いは、「おじさん構文」や「Z構文」(私がいっているだけですが)という、「世代に固有のもの」というより、それぞれTPOに合わせて使い分けられるもので、あまりそれで世代間対立をあおってもしょうがないと思うのです。

おじさんにとってもリアルタイム性(ノリやグループ)を重視したコミュニケーションが必要になる場面もあるし、Z世代にとっても意味内容やニュアンスを重視したコミュニケーションが必要になる場面があるはずです。場所や場面、そしてコミュニケーションをとる相手のことを考えながら、自省的に自分のモードを切り替えていけるのが、「現代の教養」ともいえるのではないでしょうか?

結論!世代間対立あおるのはやめて、おじさん構文は「ニュアンス構文」、Z構文は「グルーヴ構文」ということにしませんか?…って、キャッチ―じゃないし、はやらないだろうな…。という長文のおじさんのひとり言でした(^-^)