2018年11月

多気町PJメンバーにオススメされた伊勢いもを食べてみる。 [2018年11月29日(木)]

こんにちは、松田忍です。

10月のオープンキャンパスで管理栄養学科2年のKさんたちと一緒に、グリーンホールで高校3年生向けのトークイベントをおこないました。楽屋待機中にKさんといろいろとお話ししたのですが、Kさんは多気町応援プロジェクトに参加していらっしゃるそうでして、多気町の名産品「伊勢いも」を猛プッシュされました。「芋界最強のねばりがある芋」ですり下ろして食べると美味しいらしいです。

そこまでいうのならばということで、ふるさと納税にて、取り寄せてみました。いもだからダンボール箱にはいって届くのかと思いきや、立派な箱に入っています。さすが高級食材。

蓋を開けても、高級食材なのですぐに姿を現さない!なんとおがくずで、丁寧に包まれています。こんないも見たことない笑(2個食べたあとの写真なので、ちょっと量が減っていますが、最初は一杯一杯に入っていました)。

いよいよ「伊勢いも」とご対面。リンゴよりでかい!!ゴツゴツしてます!

もっともオススメの食べ方がとろろ汁とのこと。すり下ろして、干し椎茸のだし汁で引き延ばしていただきました。

これは美味しい!山芋をはじめとして、世の中に粘る芋は数あれど「伊勢いも」は別格でした。粘りの力が強いこともさることながら、コクとのどごしのハーモニーが最高です!ご飯にかけて食べても美味しいような気がしますが、むしろご飯の美味しさを食ってしまうほどの存在感があるコクです。

多気町を応援すべくKさんが一生懸命に活動なさっている理由の一つがわかりました。

多気町応援プロジェクトのメンバーには歴文生も2人入っています。管理栄養学科のKさんは食の観点から地域の食材を考えているそうですが、歴史もまた地域を捉えていくときの大事な軸になりますし、地域活性化系のプロジェクトで、歴文生が活躍するチャンスはたくさんあると思います。また学科を超えて意見交換することで、自分の強みが分かったり、新しい考え方に出会うチャンスにもなるでしょう。

SLABOには昭和女子大学がおこなっているたくさんのプロジェクト活動の報告がつまっています。いままだ何も参加していないというみなさんも、来年度なにかプロジェクトに参加してみませんか?もちろん、戦後史資料を後世に伝えるプロジェクトもありますぞ!(宣伝笑)

戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトが『毎日新聞』に掲載されました。 [2018年11月26日(月)]

戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

私たちの活動が2018年11月25日づけの『毎日新聞』(東京都内版)に取りあげられました!

長崎市街地巡見 [2018年11月25日(日)]

こんにちは、松田忍(日本近現代史)です。

11月22日~23日と光葉同窓会長崎県支部会に出張してきたのですが、出張したからには空き時間に現地を歩き倒す「歴文イズム(=手で考え、足で見る)」を発揮してきました。

特に「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」に関連して、長崎の原爆関連遺産を見て回りました。重視したのは公共交通機関やタクシーを使わず、「自分の足で歩くこと」です。

【11月22日夕方~夜】

22日の夕方に長崎駅前のホテルにチェックインし、すぐに外出して暗くなるまで歩きました。

浦上駅で亡くなっていた母子の写真が、吉田一人さんが「被爆者として生きること」を決心するきっかけになったんだなぁと思い出しながら、浦上駅から出発します。

原子爆弾落下中心地碑を出発点として、北へ向かって歩きました。中心地碑の近くには、崩壊した浦上天主堂の遺構も移築されています。

そこから北に進み、平和の泉から平和祈念像を臨みます。

更に北上して戦後再建された浦上天主堂。浦上天主堂をはさんで、爆心地の反対側には、被爆後に崩壊した旧浦上天主堂の鐘楼が、当時のままの姿で残されています。

長崎駅前に戻るときには、茂里町を通って戻りました。茂里町は長田孜さんが勤労動員にかりだされ、魚雷を磨く仕事をしていた三菱の工場があったところです。原爆が投下された8月9日にはたまたま長田さんは福岡県に帰省していたため、ご無事だったのですが、「もし帰省していなかったら即死だったね」とおっしゃっていた意味も実際に歩いてみるとよく分かりました。原爆落下中心地から遮るものなく、数百メートルの位置に茂里町がありました。

【11月23日8時~10時】

翌朝は早朝から起きて、8月9日における吉田一人さんの行動に沿って歩いてみました。8月9日長崎駅へ切符を買いに行って、中川町まで戻ってきて立ち話をしているときに吉田さんは被爆しました。私も長崎駅から東の方へ新中川町の電停まで歩きます。ざっと20分くらいでしょうか。

ただ長崎駅だと爆心地から見渡すものがないのに対して、中川町だと間に金比羅山があります。標高400メートル足らずの小高い丘ですが、原爆の威力のうち熱線の直撃のみは避けられ、金比羅山に助けられたという吉田さんのお話の意味がよく分かります。それでも金比羅山を超えてきた爆風に体ごと吹き飛ばされ、塀に打ち付けられたと吉田さんはおっしゃっていたことも思い出します。

【11月23日11時30分~14時30分】

そのあと、ホテルニュー長崎の光葉同窓会長崎支部会に出席しました。

私からの挨拶のなかでは、昭和女子大学が現在も力強く発展し続けており、多くの受験生の皆様に選ばれる大学になっていることをお話ししました。またグローバル、プロジェクト、キャリアの3本柱で学生たちを育てる軸になっていることをお伝えする中で、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトで、学生たちと被団協関連史料の分析をおこなっていることをお話しいたしました。

挨拶後、同窓生から「ここに集まっている同窓生の中にも何らかの意味で原爆とつながっている人がたくさんいるのよ」とのお話をうかがいました。

吉田さんや長田さんの話も含め、その土地に眠る記憶を強く感じた出張でありました。プロジェクトのメンバー学生たちと実地を歩いてみる旅行を計画してもいいかなと思っております。

昭和女子大学のネットワークは全国に広がっています! [2018年11月24日(土)]

こんにちは、松田忍(日本近現代史)です。

11月23日に、アドミッション部次長としての立場で、光葉同窓会の長崎県支部会に出張して参りました。世田谷から遠く離れた長崎県であっても、20名以上のOGのみなさまが支部会に参加していらして、旧交を温めていらっしゃる姿を拝見いたしました。

美味しい中華料理をいただきながら、いろいろなお話しをいたしましたが、みなさま昭和女子大学で学んだことを土台として、その後の人生を歩んでいらっしゃることを知ることができ、教員として、とても励まされました。特に国語や家庭科の先生になられた方からは、生徒を指導していく上で、昭和女子で学んだことが、いつも立ち返る原点になったとのお声もあがっていました。

卒業年次はさまざまなOGの方がいらっしゃっていたのですが、代を越えても通ずる「昭和女子イズム」も感じました。ご卒業後数十年経っても、当時の担任の先生と「クラス会」を続けている方もいらっしゃいましたよ。

こうした地方からも応援して下さる皆様の声を受けて、これからも昭和女子大学のさらなる発展に尽くしていくことをお約束して、長崎をあとにしました。

 

秋桜祭参加記・追加 [2018年11月22日(木)]

こんにちは、松田です。

先日秋桜祭の紹介記事を書きましたが、一枚画像をつけ忘れてました(スマホで写真を撮ると、ついつい死蔵されがちですね)。

キャンパス内を歩いている時、たまたますれ違ったゼミ生の写真です。全然知らなかったのですが、着付けサークルの部長をやっているとのこと。学科とは違う学生たちの顔を見られるのも学園祭のいいところですね。

昭和女子大学は自立し、社会で活躍する女性を育てるべく、さまざまな取り組みをしております。でもそれはガツガツとガサツに生きることとは違うと思うんですよね。

人としての気品とか所作とか教養とかに関わるような和風のサークルもたくさんあります。

着付けもそうですし、茶道、煎茶、華道、書道、箏曲などなど。

特に私が毎年秋桜祭で楽しみにしているのが箏曲(お琴)です。その調べの美しさには本当に聞き惚れます。女子大に勤務しなかったら、お琴の楽しみを知ることもなかったんだろうなあと思ったり。

ということで秋桜祭参加記追加でした。

 

『被団協』新聞の取材を受けました。 [2018年11月22日(木)]

こんにちは。松田忍(日本近現代史)です。戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトの顧問をつとめています。

昨日、日本被団協事務室長の工藤雅子さん、「おりづるの子(東京被爆二世の会)」事務局長の吉田みちおさんから、本プロジェクトに関する取材を受けました。取材内容は日本被団協の機関誌『被団協』2019年1月号に掲載されるそうです。

吉田みちおさんは長崎で被爆した吉田一人さんのご子息でいらっしゃいます。取材における吉田さんのご関心は、我々のプロジェクトがいかにして「被爆者に『なる』」の展示コンセプトにたどりついたかにあったように思います。東京で被爆者運動の研究をしているというのは、運動に身を置かれている方からすると不思議なことのようであります。「修学旅行などで被爆者の話を聞いたことがあるとしても、基本的には原爆と縁遠いところに生まれ育った学生たちがなぜ被爆者運動を分析しようとするのか」という疑問は、吉田さんのみならず、新聞各社の方も必ずお聞きになりました。「みなさんの出身地は本当に首都圏なの?」という質問も何度か受けました。

それに対する返答はメンバー一人一人異なるものではあります。

しかし私なりの回答をすれば、このプロジェクトが目ざすところが「運動への参加」ではなく、「運動から距離を置いて、歴史学として運動を分析する立場」をとっているからこそ、原爆や被爆者からの距離が遠い私や学生たちであってもプロジェクトとして成立しているのかなと思っています。歴史学の学びは、単純に網羅的に知識を蓄えていくことではありません。なんらかの出来事を対象として分析を加え、その出来事がおかれた歴史的文脈を一本一本紐解いていくことで、過去の世界を豊かに理解していく思考態度が歴史学では求められます。

その点においては、被爆者運動分析についても同様であり、運動の分析をおこなうことが戦後日本がおかれた政治構造や思想状況を知ることへつながっていると感じられるので、学生たちは「学ぶ喜び」を感じ、一生懸命に頑張っているのではないかと思います。歴史を知り考えていく「喜び」に関していえば、「原爆との距離が近いか遠いか」の差異のようなものはないのかなと考えております。極端な話をすれば、戊辰戦争に従軍していなくても、興味を持って幕末政治史を学べるのと同様に。「語り」によって支えられてきた被爆者運動を、歴史として知的関心を持って学びうる対象へと捉え直していく点において、「現代を歴史にする」瞬間にたちあっている緊張感のようなものは私にもあります。

今年の秋桜祭展示によって、プロジェクトメンバー間で「考える土台」のようなものはなんとなく出来たかと思っていますし、それを実現したメンバーの頑張りには精一杯拍手を送りたいと思います。しかし実際の研究はこれからがスタートです。上級生の思いを下級生が引き継いで、しっかり頑張っていって欲しいと思っています。

伝統文化の現場で年賀状を書きました! [2018年11月21日(水)]

こんにちは、歴文2年のM.Mです!
本日は「伝統文化の現場」の授業についてご紹介致します。

この授業は、民俗、仏教、神道、美術、服飾、といった各伝統文化に携わるスペシャリストに二週に渡りお越しいただき、実技や座学を通して学んでいく、歴文ならではの、歴文だからこそできるオムニバス形式の授業です!
今回は書道家の中島裕子先生にお越しいただき、墨と水彩を使い、来年の干支の「亥」の字が入った年賀状を作りました。

   

まず始めに、1週目は中島先生に書道の歴史、文字の種類、字の書き方を教えて頂きます。
書道の歴史についてお話しして下さる中で、先生は落款印について、竹簡を束ねる糸がほつれないようにするために、粘土状の土を押し当てる際に用いられた道具が元であると教えてくださり、非常に驚きました。

さて、字の書き方まで教えて頂きましたら、次は実際に半紙に書いていきます。
ほとんどの学生が、高校、または中学以来の書道であったため、はじめは字のバランスが掴めず大変でした。
しかし、先生から直接アドバイスを頂いていく中で、だんだんと筆に自分の思いが伝わりやすくなり納得できる字が書けてきました。

  

2週目は、墨に加え、水彩を使いポストカードに来年の干支の「亥」の文字を書きます。
学生は思い思いにポストカードに色を乗せていきます。
ここでは縁起の良い赤や緑、金色が好まれました。

色を乗せていく過程でポイントとなったのは、2色入れる時は角や先などに色を乗せることでした。
加えて、2週目では文字を崩すということにも挑戦しました。
文字を崩す過程でポイントとなったのは「太さ、細さを入れること」そして「空間を作ること」でした。
ポイントを押さえ書いていくと、一人一人選んだ「亥」の書体によっても印象も変わってきます。

アーティスティックな年賀状が出来上がりました!

  

最後は完成した年賀状を持って記念撮影です。

出来上がった年賀状は学生個人で持って帰ります。
今から年賀状を出すのが待ち遠しいです。

中島先生、ご指導いただきありがとうございました!

被爆者の声を未来につなぐ公開ミーティングで研究報告をします! [2018年11月20日(火)]

こんにちは!戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

秋桜祭研究展示「被爆者に『なる』」の内容を学外で報告することになりました。

開催概要は以下の通りです。こちらからもご覧頂けます。

多数のみなさまのご来場をお待ちしております。

クリックで大きくなります!

本プロジェクトの関連記事はS-LABOでまとめて読めます。

長崎で被爆した方のお話しを伺って参りました。 [2018年11月20日(火)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

秋桜祭での研究展示を報道する『朝日新聞』の記事をご覧になった長田孜さんから「原爆・被爆者関連書籍を寄贈して、学生たちの勉強に役立ててほしい」とのお手紙を頂きました。

早速プロジェクトメンバー3名で中野区にある長田さんのお宅を訪問し、書籍を受け取るのと共に、お話しを伺って参りました。長田さんは1945年8月12日に救援のために長崎市内に入り、入市被爆をなさったそうです。被爆体験のみならず、戦時期の勤労動員や戦後の生活など、私たちの勉強になる話をたくさんしていただけました。

長田さん、ありがとうございました!

今回は私どものプロジェクトが書籍のご寄贈を受ける形となりましたが、原爆関連書籍の体系的な収集はノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会がおこなっていらっしゃいます。特に被爆者自身が自費出版で少数部数発行したような本(図書館にもないような本)が貴重でありまして、そうした本をお持ちで、後世に残しておきたいとお考えの方はノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会へとご連絡になると、間違いなく残していけるかと存じます。

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ICTツールの活用!onenote その3 [2018年11月17日(土)]

こんにちは。戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

リエゾンセンターのプロジェクトとして採用されると、プロジェクト参加学生全員に名刺が配られます!実際に協働団体のみなさまとお会いするときや、研究発表をするときには、たくさんの学外の方とお話しし名刺交換する機会があります。

またそれらのみなさまからメールを頂いたり、お手紙を頂いたりすることもあります。

そうした記録もonenoteで共有しています!

「A5_研究人脈」のノートでは頂いた名刺を共有し、「A6_通信録」のノートでは学外の方とやり取りした記録を共有しています。

これはとても大事なことだと思っています。

学外の方とお会いときには、実際に対応し名刺交換をしたのがプロジェクトメンバーのYさんだったとしても、次に対応するのは違うメンバーのKさんだったりするのです。でも、先方からみれば同じプロジェクトのメンバーだと思って接して下さるわけなので、知らないではすまされませんし、せっかく親しくなるチャンスも逃してしまいます。

また、この半年間協働団体の方から頂いた、ご助言のメールに刺激を受けて、論点が深まっていくことも数多くありました。ただ最初の頃は一部のメンバーだけしかメールの内容を知らずに議論してしまっていたときや、グループラインでの共有ですませてしまっていたときもありました。しかし、やはり全メンバーで正確な情報を共有することで、メンバー間の意思疎通が濃密になり、論点もより深まることが分かりましたので、最近「A6_通信録」のノートを作って、学外の方との情報のやりとりを記録することにしました。

「A5_研究人脈」も「A6_通信録」も、今後のプロジェクト活動のなかで、どのように活用していけるのかとても楽しみです!

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