47年前の創立50周年祝賀 [2017年05月05日(金)]

 昭和45年11月7日の創立50周年記念式典に先立って、10月20日には、全学を挙げて創立50周年記念体育祭が行われました。

(創立50周年記念体育祭の様子)
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 附属校の生徒たちがグランドいっぱいに「50」の人文字をつくり、全学を挙げてのマスゲーム「50周年の歩み」では、幼稚部から高等部の生徒が順番に50年の歴史を表現しました。90歳近い創立者人見圓吉理事長は、在校生、卒業生をはじめ、保護者も参加したグランドでの祝賀の集いで、力強く未来に向けての大きな飛躍を誓われました。

 キャンパス内の記念講堂の脇にある「先哲の碑」は、その創立50周年記念体育祭の時に、創立者が昭和学園の前途を祝福されて両手を広げられた姿をイメージして創られています。

(昭和学園の前途を祝福する創立の父人見円吉理事長『学園の半世紀』より)

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 創立記念日はその後、地方出身の学生達が、春の連休を利用して故郷に帰りゆっくり過ごせる時間をとらせたいという思いから、5月2日に設定されました。今年は、4月29日が「昭和の日」、30日は日曜日、5月1日には創立記念式を挙行し、2日は創立記念日で休校、そして3日から5日までが連休となり、土曜日、日曜日と続いて休日となる人にとっては言葉通りまさにゴールデンウィークとなりましたね。

 ところで、ゴールデンウィークという名前の由来は、ラジオの視聴率が最も高い「ゴールデンタイム」に倣ったなど、いくつか説があるようです。NHKではゴールデンウィークということばを使わずに「大型連休」と言うようですが、その理由はすべての人が休みを取れるとは限らないからだそうで、公共放送はこのようなことばの使い方にも注意をしているのですね。

 あと3年で創立100周年を迎える昭和女子大学。更にその先の100年に向けての第一歩に繋がる年にしたいものです。

校歌 [2017年04月28日(金)]

 本学は、大正9 年9月10日に「私塾」日本女子高等学院が小石川幼稚園の間借り教室で始まり、大正11年3月には、東中野の中野幼稚園の一隅を借りて仮校舎として、日本女子高等学院設立認可申請を東京府に提出しました。そして、その4月に新生「日本女子高等学院」が誕生したと記録にあります。しかし、大正12年9月には関東大震災。何とか倒壊は逃れ、11日に始業式。大正14年3月には、第1回卒業生、国文科4名、英文科4名、附属女学部7名の15名を送り出しました。この卒業式には、先輩が誰もいなかったのはもとより、校歌もありませんでした。

 第1回卒業生の悲願であった本学の校舎がやっとできたのは、大正15年5月のこと。初めて独立した校舎を持つこととなり、同年6月5日に東中野の仮校舎から上高田の新校舎に移転したのです。この新校舎の落成式に校歌が制定されました。昭和の目指す教育の理想が、謳われています。初代理事長、人見圓吉先生が作詞されました。

(大正15年の上高田校舎)

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 校歌の第1節「朝風薫る武蔵野の、緑が丘に春和み、学びの庭の八重桜、色香も清く咲き充てり」では、本居宣長が「敷島の大和心を人とはば、朝日に匂ふ山桜」、つまり、「日本人のこころとは何かと人が尋ねたら、朝日に照り映える自然に咲く山桜のように、純粋無垢な気高い心情である」と謳ったように、「春の武蔵野の丘に緑が映え、気高い日本人の心を表すような八重桜が美しく咲いている」いる。昭和は、そのような清々しく美しい自然に勝るとも劣らない、「清き気品」「篤き至誠」「高き識見」を兼ね備えた女性たちが学ぶ学園でありたいと謳っています。

 第2節「広き世界の学芸と、古今の知徳照り映えて、命永遠なる亀鏡(みかがみ)は、青空高く輝けり」では、向上と進歩が本学の教育の根本であり、またそれらは人生の目的であることも示しています。広く世界と古今の知恵を求めて、永遠の亀鏡(キケイ)、つまり周りの人々の「手本」となるような人材に成長することを目指したいものだと語りかけています。

 第3節「あらゆる者を育みて、そだてあげしは女性なり、女性文化の帆を張りて、海路遙けく漕ぎ出たり」では、女性こそがすべてのものを育て、育むことができるのだから、学問を積み、知識を身に付け、徳を積んで、女性文化の発展のために一歩を踏み出しましょう、と呼びかけています。

(校歌、高女旗、学院旗)「学園の半世紀(昭和46年11月7日発行)」より引用

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 式典では必ず歌う校歌ですが、次の機会には是非、作詞者が校歌に込めた意味も考えながら歌ってみませんか。きっとまた新鮮な気持ちで歌えるのではないでしょうか。

「心を伝える」オルゴール [2017年04月21日(金)]

 オルゴールは、英語ではmusic boxと言います。それではオルゴールという名称はどこから来たのかというと、江戸時代の初期に自動オルガンをorgel、オランダ語で「オルヘル」、ドイツ語で「オルゲル」と読んだことから始まり、今では「オルゴール」と呼ぶようになったようです。日本では、初めのころは「自鳴琴」とも呼ばれていたそうです。

 オルゴールはもともと、懐中時計や指輪に仕込まれた小型のものから始まったそうで、ぜんまい仕掛けのばねや歯車で動かされていました。1815年に世界で最初のオルゴール工場が時計の産地でもあったスイスにできて盛んに生産されはじめ、19世紀になるとドイツにディスク・オルゴールが登場しました。

 昭和学園には、そのドイツで作られたディスク・オルゴールが3台もあるのをご存じですか。望秀学寮、東明学林、初等部にあります。ピン打ちした金属の筒が回るオルゴールはよく見かけますが、ディスク・オルゴールの中でも本学が所有している大型のものは、日本国内にいくつかあるオルゴール博物館まで出かけないと、なかなかその音色を聞くことはできないのではないでしょうか。

(望秀学寮にあるオルゴール)             (東明学林にあるオルゴール)

オルゴール正面      食堂オルゴール①

<望秀学寮 オルゴール曲目>
1.TRAUMEREI AND ROMANCE 2.THE TROUBADOR VERDI 3.CARMEN TORREADOR SONG 4.WEDDING MARCH 5.CONVENT BELLS 6.HOME SWEET HOME 7.LA PALOMA SERENADE 8.WAVES OF THE DANUBE WALTZ 9.THE BARBOR OF SEVILIA 10.PICOLO FANTASIE 11.THE BLUE BELLS OF SCOTLAD 12.KAYA KAYA

<東明学林 オルゴールに添えられている文章と曲目>
1.アヴェ・マリア 2.フニクリ・フニクラ 3.ニューヨークの鐘 4.ラ・トロヴィアータ 5.狩人の合唱 6.春の歌 7.きよし この夜 8.スケーターズ・ワルツ 9.歌劇「カルメン」より 10.ウインザーの陽気な女房たち 11.タクト

 専用のコインを入れると縦に置かれた直径60センチ以上もある大きな円盤形の金属板が回転して、演奏が始まります。ディスクの交換ができるので、11~12曲の演奏を聴くことが出来ます。玄関入ってすぐのところにこのオルゴールが設置されている初等部では、何か良いことをした児童がコインをいただいて、演奏を聴くことが出来るのだそうです。東明学林や望秀学寮では、事務室に行ってお願いすれば、誰でも聞くことが出来ますから、学生の皆さん、そして、卒業生の皆さん、是非、心を洗われるような音色を楽しんでください。

AEQUABILITER ET DILIGENTERとFIAT LUX [2017年04月14日(金)]

 図書館のある8号館の正門側入口の左側の外壁にAEQUABILITER ET DILIGENTERと、FIAT LUXという言葉が掲げられています。

(8号館の正門側入口)

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 はじめのAEQUABILITER ET DILIGENTERは、キケロの「兄弟クゥイーントゥス宛の手紙Ⅰ」の中にあるもので、「着実にして勤勉」という意味であることが、本学の図書館のサイトhttps://swu.ac.jp/fac/lib/use/u_facility/u_collectionにあります。イギリスの詩人、ジョン・ミットフォード(1782-1831)の詩句に由来があることも『昭和女子大学90年史』に記述されています。現在の6号館にあった旧図書館の入り口に掲げられていたものをここに移転しました。本学創立者人見圓吉先生が、図書館に相応しい言葉を探すように、当時本学でご指導をいただいていた国語学者の吉田澄夫教授に依頼して、この言葉に巡り合ったようです。

 もう一つのFIAT LUXは、旧約聖書の創世記第1章にある、次のようなことばからの引用で、「光あれ」という意味です。昭和女子大学図書館報の名前にもなっています。

   In principio creavit Deus caelum et terram. 創めに神が天と地を造った。

  Dixitque Deus: “Fiat lux!” Et facta est lux. 神は云った。「光あれ」。すると光ができた。

 宗教的な意味で「光あれ」がどのような意味を持つかは別として、混沌とした闇の世界に光明をもたらす光は、「開講の詞」にある、「陰惨な雲」に覆われた世界に差し込む「一道の光明」であり、「文化の道を歩み出すべく、互いに研き合わなければならない」という意味が込められたことばと解釈できるのではないでしょうか。

 この句は、その昔、今の学園本部館の近くにあった近代文庫の入り口に掲げられていました。

 これら二つのことばは、共にラテン語ですが、全く出典も違い、初めに刻まれていた建物も違いますから、一続きのものでないことだけは誤解の無いように。

 創立者の人見圓吉先生は、晩年になられても、毎晩遅くまで、近代文庫や図書館で研究を続けられていたと伺っています。図書館は静かにものを考え、研究に打ち込める場所だったのですね。現在では、自宅や学外のどこからでも、PCがあれば本学の教職員や学生は、図書館の情報を見ることができます。また、図書館で調べなくても、様々な情報源を活用して情報をとり出すことも簡単に即座にできるようになりました。しかし、そうした知識は、その場だけの単なる情報として終わってしまうことが多く、本をじっくりと考えながら読んで得た知識とは、違うように思いませんか。

春の昭和東京キャンパス [2017年04月07日(金)]

4月2日に入学式が無事終了し、新入生のオリエンテーションが各学部・学科で行われました。
現在、大学では、上級生が学科ごとに卒業後の進路を考えながら、専門、一般教養・外国語、キャリア科目等の履修をどのように計画すれば良いかなどを指導したり、歓迎の気持ちを込めて新入生歓迎パーティを開催したりと、工夫したオリエンテーションが続いています。またクラブ同好会主催の歓迎フェスタも行われ、桜など春の花々が咲き始めたキャンパスはとても賑わっています。

(学園本部前のソメイヨシノ)                 (大学7号館前のパンジー)

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ところで、今年から学園の建物の名称が変更になりました。正式な英語の名称も表示された白いプレートがそれぞれの建物の前に設置されています。

(西門にある新しい構内案内図と、建物の名称を案内するプレート)

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大きく変わったところは、大学2号館東棟が6号館(Building 6)に、研究館が7号館(Building 7)に、80年館が80年館西棟も含めて8号館(Building 8)に、そして、北校舎が9号館(Building 9)となりました。プレートの表記は例えば1号館のように「~館」とついている場合は、「B1」のように表記しますが、創立者記念講堂はMH(Hitomi Memorial Hall)、学園本部はAB(Central Administrative Building)、中高部(Junior-Senior High School)1号館はH1、中高部2号館はH2、初等部はES(Elementary School)、こども園はEC(Early Childhood Education and Care Center)となりました。

また、昨年ご報告した、鳥に種をついばまれて、なかなか成長しなかった菜の花もそろそろつぼみを持ち始めました。

うららかな春の日、東京キャンパス内の花めぐりを兼ねて、新しいキャンパス地図と建物表示のプレートもご覧ください。

 

 

新入生の皆さん、友達の名前をまず覚えましょう! [2017年03月31日(金)]

 4月2日は昭和女子大学の入学式です。今年度は、5学部13学科及び大学院修士・博士課程で合計1,500名を超える新入生を迎えます。国際学部や生活科学部の食安全マネジメント学科の学生さん達は、それぞれの学部・学科、初めての入学生です。4年間で、どんな成果を出してくれるのかが、とても楽しみです。新入生の皆さんは、上級生とも、諸先生方とも、職員の皆さんとも、自由に活発なコミュニケーションが早くとれるようになるといいですね。そして在学生の皆さんも、いよいよ平成29年度の新学期のスタートを迎えます。積極的に授業や様々な活動に参加しましょう。

 

(学園本部館前の桜と枝に止まるメジロ)
ブログ用

 春は新しい出会いの季節。これまでコミュニケーションが苦手だと思っていた人も、新しい環境で新しい仲間に囲まれて、コミュニケーション上手になるチャンスです。その第1歩は相手の話を耳と目でよく聞くこと、そして、次は、その内容を自分の言葉で繰り返して相手に確認すること。こうすると、ミス・コミュニケーションはグッと少なくなります。特に初対面の人から受けた印象は、かなり長い間消えないものですから、是非、明るい表情で、相手に聞き取り易い言葉で話しかけるように努めましょう。

 コミュニケーションの第一歩は挨拶の声をかけることと、相手の名前を覚えることですよね。私の名前は「カネコ トモコ(旧姓は「宮崎」)」ですが、小学校の卒業式でクラス担任の先生が私を、「ミヤザキ アサコ」と呼んだので、とても悲しかった記憶があります。それとは逆に、大学院の博士課程に通っていた頃、ある著名な教授から、”Tomoko, how’s your dissertation going?”と声をかけられ、たくさんの院生の中から私の名前を憶えていてくれたことが嬉しくて、「よーし、この教授の下で博論を書き上げよう!」と決心したこともありました。

 たかが挨拶、されど挨拶。そして、たかが名前、されど名前ですね。

 教師にとって、生徒や学生の名前を覚えることはとても大切なことだと知ってはいるのですが、私はそれが苦手な方です。そこで、私の今年度の目標を、学生の皆さんやお目にかかった方々の氏名をしっかり覚えることにしたいと思います。皆さんはこの1年、どのような目標を立てられましたか。目標に向かて、一つ一つ工夫を重ねて努力をしているという自主的なプロセス自体が、重要な価値を持っています。そのプロセスの中にいること自体に意味があり、たとえそれが失敗に終わっても、再びチャレンジすれば、きっといつかは、目標の達成へと近づくことができるでしょう。

平成28年度卒業式 [2017年03月17日(金)]

(平成28年度卒業式の様子)

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 3月16日(木)に平成28年度の学位授与式が創立者記念講堂で盛大に行われました。前日が冬のように寒い一日だったものでお天気がどうなることかととても心配でしたが、春のやわらかな光が気持ちの良い素晴らしい一日でした。

 本学では、卒業式を2回に分けて挙行します。記念講堂の座席は1階が1,476席、2階が532席の計2,008席。今年の卒業生は4学部12学科の1,361名と大学院博士課程・修士課程修了生35名の総計1,396名です。それに卒業生のご家族も参列されるので、どうしても2回に分けなければなりません。

 学部卒業生で各種資格を取得した方は約850名、卒業生の60%に当たります。また、学部卒業生の内23名は大学院に、そしておよそ99%の皆さんが既に就職先を決定していることは、とても嬉しいことです。凛としたお面差しで晴れやかに式場に入場する姿からは、この4年間で、様々な経験を通して、自分を磨き上げたという卒業生の皆さんの自信が伝わってきました。

 地球上に住む約73億人の中で、大学で学ぶ機会を得ている人はたったの7%、しかも女子だけに限れば3%にも満たないそうです。それを考えると、大学を卒業した人は、世界的にみれば、世界に貢献する義務があり、大きな期待を背負っていることになるでしょう。

 卒業式では、卒業生一人一人の氏名が学科長から読み上げられます。1,396名を2回に分けても、1回に700名近くの名前が読みあげられることになり、長時間の式典になりましたが、卒業生の皆さんが大変整然と参加してくださり、素晴らしい卒業式を全員が協力して、作り上げてくださったと思います。私の式辞も理事長・総長の告辞、来賓の祝辞も、そして、在校生代表の送辞と卒業生代表の答辞も、一言も漏らさないようにと真剣に聞いてくださっていたのには、感動しました。

(学位記を受け取る学生)

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 卒業生の皆さんの栄光ある未来を心から祈っています。

桜が咲いた! [2017年03月10日(金)]

(新体育館に咲く寒桜)

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昭和女子大学のキャンパスに桜が咲き始めました。2月の3週目のことでした。今年一番に咲いたのは新体育館を囲む植え込みの桜です。晴れた空の色に映えてきれいですね。この桜は寒桜という種類で、早咲きで知られています。早いものは1月から咲き始めるそうです。有名な河津桜も寒桜の一種です。枝先からたくさん花柄(かへい)が出て、その先に一つずつ一重の淡い紅色の花がつきます。

学園はもうすぐ卒業式シーズンを迎えますが、今のところ東京では、今年のソメイヨシノは3月24日が開花予定となっているようです。学園を巣立つ皆さんをキャンパスの桜の花が祝ってくれるはずです。昭和女子大学の近く、目黒川沿いの桜並木は一見の価値があります。関東の桜の名所の中では、文京区の六義園に続き、皇居のお堀の千鳥ヶ淵公園と並んで、上位に挙げられています。目黒川は、世田谷区から、目黒区、品川区を通り、東京湾に至るまで約8キロあるそうですが、池尻大橋から目黒に向かって、4キロくらいの間、川沿いの両岸には約800本のソメイヨシノが咲き揃います。渋谷駅に向かうバスが池尻大橋を通り過ぎる頃、ぼんぼりの明かりに照らされて夜空に浮かぶように見える桜並木をちょっとだけ眺めることが出来ます。川沿いのそぞろ歩きを楽しんでいる人たちの姿も見えますよ。

桜と言えば、本学の環境デザイン学科学生の新デザインによるクリアファイルが、ショッププレリュードで発売されました。

リボンに桜の花がついています。背景は日本庭園「昭和の泉」で泳ぐ鯉をモチーフにしたそうです。これからの待ちに待った桜の季節、池の水面も太陽の穏やかな光を受けて、きらきらと光っているように見えます。

孫たちにキュウリの話をするトルストイ [2017年03月03日(金)]

本学の創立者記念講堂内の学園記念室に、下の写真のような銅製の像があります。特に題名はついていないのですが、孫達にキュウリの話をするトルストイの写真をもとに、ロシアで制作され、本学に寄贈されたものではないかと思います。

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レフ・トルストイは、とても子ども好きで、どんなに長い時間でも子どもと話をしていたそうです。子どもたちが特に好きだった話の一つが、キュウリの話でした。以下のお話は田中泰子著「L.トルストイとキュウリの話」『カスチョール 31』(2013)を参考にしました。

 あるとき男の子が畑で小ちゃな小ちゃなキュウリを見つけました。男の子は、それをパクッと一口で食べてしまいました。(ここでトルストイが本当にキュウリを噛んでいるようにポリツ、ポリツ、パリツと音を立てると、孫達は本当にキュウリを食べているのかと不思議そうな顔になったのだそうです。そこでトルストイが口の中のキュウリをゴクリと飲み込む音を出すと、子どもは本物のキュウリだ!と喜びます)さて、男の子がもっと先に歩くと、今度はもう少し大きなキュウリを見つけました。(お話の中の男の子が次々と少しずつ大きなキュウリを見つける度に、トルストイはその大きさを両手の指と指の間隔を広げながら示し、また、あたかもその男の子がキュウリを食べているように音を立てながら、口をモゴモゴさせます)男の子は、食べても食べて次にはもっと大きなキュウリを見つけて、(4本目のキュウリは90センチの大きさに、7本目はその男の子の大きさ位までになってしまします)とうとう畑のキュウリは全部なくなってしまいました。

孫達は、おじいちゃんのお話と、キュウリを食べる音と、キュウリが大きくなりすぎて、とうとう最後には指と指の間隔でその大きさを示すことが出来なくなってしまったことが面白くて、お話が終わった後も、家族や出合った人みんなに身振り手振りで、キュウリのお話をしたそうです。おじいちゃんがやったようにキュウリを噛む音をまねしようと、頬を膨らませ、ポリツ、ガリツとやってみるのですが、とうとうおじいちゃんのようにはうまくはできなかったそうです。

田中泰子氏によれば、アレクセイ・セルギエンコ著『L.トルストイはどのようにキュウリの話を語ったか』(1907)という小冊子で、セルギエンコ氏は、「どうしてこの話が子ども達に気に入られたのだろう?それはトルストイの話し方がとても面白かったからだ。(中略) つまり、何でもないような、つまらない話でも意味があるということだ。トルストイはいつも言っていた。真面目な大作だけでなく、どんな話や遊び歌でも、それを聞いた子どもたちが楽しげで気持ちよさそうにしていたらそれは役に立ったということだ、と。」と書いています。

2020年度から小学校3,4年生で英語活動が導入され、5、6年生は正課としての英語授業が始まります。英語の導入期に、子ども達がこんな風に英語のお話を聞くことが出来るといいですね。

「開講の詞」の由来をご存じですか [2017年02月24日(金)]

本学の式典で、創立者人見圓吉先生の声で必ずお聞きする「開講の詞」。その由来をご存知ですか。実は、私が昭和41年に大学に入学してから昭和46年3月に卒業するまでの間、この詞を聞いたのは、たった1回だけでした。その理由は・・・。

「開講の詞」は本学の前身、日本女子高等学院が始まる前年の大正8年4月に設立された日本婦人協会の「設立趣旨」として配布されたようです。日本女子高等学院が開設された大正9年9月10日からは、その趣意書の詞が本学の建学の精神を表す「開講趣意書」となりました。

人見圓吉先生は、創立50周年の記念式で、「東京の山の手の町を歩いて塾に適当な家を探しました。当時の東京には空き家が多く1時間も歩けば4,5軒位は探し出せたものであります。しかし折角探し出しても帯に短かくたすきに長く、適当な家はなかなかなく、ようやく探し当てたのは1年余りの後のことでありました。その玄関の左側に「日本女子高等学院」の表札を出しました。それが大正9年9月10日で、(開講趣意書が)できたのはその日の午後2時ごろでありました。こうしてわが昭和女子大学の前身はこの世に生れ出たのであります。」と話されています。

(「日本女子高等学院」の表札)

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しかし、その後、暫くの間、「清き気品」「篤き至誠」「高き識見」の「校訓三則」や「真善美」の詞を本学の建学の精神を表すものとして良く聞くようになりました。

『学報』は本学の歴史を振り返るのに貴重な資料となるものですが、昭和45年の創立50周年記念式の記事に、「開講趣意書」として、また、昭和47年6月の第52回創立記念式では現在のように「開講の詞」として掲載されています。このころの学報には、入学式で「開講の詞」を聞いたという学生の感想もあるので、創立50周年以降に、現在のように、日本女子高等学院の「開講趣意書」が「開講の詞」として式典などで朗読され始めたのではないでしょうか。

「日本婦人協会趣旨」と「開講の詞」は、全く同じではありません。以下の「開講の詞」の該当箇所を赤字にし、青字で「日本婦人協会趣旨」を入れてみます。ちなみに、大正9年9月発行の坂本由五郎元本学教授が編集発行人であった雑誌『抒情文學』第2巻7号にも「日本婦人協会趣旨」は掲載されていますが、以下で参考とした『学報』の記載とは少し異なる部分もあるようです。

 

開講の詞開講趣意書

夜が明けようとしてゐる。

五年と云ふながい間、世界の空は陰惨な雲に掩はれて、人々は暗い檻の中に押し込められて、身動きもできなかった。けれど、今や、一道の光明が空の彼方から仄めき出して、新らしい文化の夜が明けようまさに明け放れよう)としてゐる。人々は檻の中から這ひ出し、閉ぢ込められた心を押し開いて、文化の素晴らしい暁光)を迎へようとしてゐる勢ひ立ってゐる)。    

夜が明けようとしてゐる。

海の彼方の空にも、わが邦土)の上にも、新らしい思想の光が、ながい間漂うてゐたふてゐた、)くろ雲を押し破って、眩しい目眩しき)ばかり輝き出そうとしてゐる。それを迎へて叫ぶ人々の声をきけ聞け)。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びをきけ聞け)。既に目ざめた(目覚めた)人々は、文化の朝を迎へる可く、身にも心にも、仕度が十分調ってゐる。 

夜が明けようとしてゐる。

われ)の友よ。その愛らしき眼をと)たまま、逸楽の夢をむさぼる可き)はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎へるために、身仕度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分にと十分の糧を採)らねばならぬ。そして、目ざめ目覚め)たる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互ひに研き合はなければならない時が来たのである。

大正九年九月十日                日本女子高等学院

(開講の詞)

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初代理事長の人見圓吉先生がご逝去されたのが昭和49年2月ですから、私たちが式典でお聞きする圓吉先生の肉声は、その前に録音されたものだということになります。また、昭和55年2月の創立者記念講堂の完成と共に、「開講の詞」の碑が入口の壁に掲げられましたので、圓吉先生の肉筆の詩も録音よりも前に書かれていたものでしょう。

次に「開講の詞」を聞く時には、ぜひ、本学の前進である日本女子高等学院の扉が開かれるにあたって、詩人でもいらした人見圓吉先生がうたいあげた力強い「開講の詞」の原文にも思いを馳せてみたいと思います。