桜が咲いた! [2017年03月10日(金)]

(新体育館に咲く寒桜)

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昭和女子大学のキャンパスに桜が咲き始めました。2月の3週目のことでした。今年一番に咲いたのは新体育館を囲む植え込みの桜です。晴れた空の色に映えてきれいですね。この桜は寒桜という種類で、早咲きで知られています。早いものは1月から咲き始めるそうです。有名な河津桜も寒桜の一種です。枝先からたくさん花柄(かへい)が出て、その先に一つずつ一重の淡い紅色の花がつきます。

学園はもうすぐ卒業式シーズンを迎えますが、今のところ東京では、今年のソメイヨシノは3月24日が開花予定となっているようです。学園を巣立つ皆さんをキャンパスの桜の花が祝ってくれるはずです。昭和女子大学の近く、目黒川沿いの桜並木は一見の価値があります。関東の桜の名所の中では、文京区の六義園に続き、皇居のお堀の千鳥ヶ淵公園と並んで、上位に挙げられています。目黒川は、世田谷区から、目黒区、品川区を通り、東京湾に至るまで約8キロあるそうですが、池尻大橋から目黒に向かって、4キロくらいの間、川沿いの両岸には約800本のソメイヨシノが咲き揃います。渋谷駅に向かうバスが池尻大橋を通り過ぎる頃、ぼんぼりの明かりに照らされて夜空に浮かぶように見える桜並木をちょっとだけ眺めることが出来ます。川沿いのそぞろ歩きを楽しんでいる人たちの姿も見えますよ。

桜と言えば、本学の環境デザイン学科学生の新デザインによるクリアファイルが、ショッププレリュードで発売されました。

リボンに桜の花がついています。背景は日本庭園「昭和の泉」で泳ぐ鯉をモチーフにしたそうです。これからの待ちに待った桜の季節、池の水面も太陽の穏やかな光を受けて、きらきらと光っているように見えます。

孫たちにキュウリの話をするトルストイ [2017年03月03日(金)]

本学の創立者記念講堂内の学園記念室に、下の写真のような銅製の像があります。特に題名はついていないのですが、孫達にキュウリの話をするトルストイの写真をもとに、ロシアで制作され、本学に寄贈されたものではないかと思います。

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レフ・トルストイは、とても子ども好きで、どんなに長い時間でも子どもと話をしていたそうです。子どもたちが特に好きだった話の一つが、キュウリの話でした。以下のお話は田中泰子著「L.トルストイとキュウリの話」『カスチョール 31』(2013)を参考にしました。

 あるとき男の子が畑で小ちゃな小ちゃなキュウリを見つけました。男の子は、それをパクッと一口で食べてしまいました。(ここでトルストイが本当にキュウリを噛んでいるようにポリツ、ポリツ、パリツと音を立てると、孫達は本当にキュウリを食べているのかと不思議そうな顔になったのだそうです。そこでトルストイが口の中のキュウリをゴクリと飲み込む音を出すと、子どもは本物のキュウリだ!と喜びます)さて、男の子がもっと先に歩くと、今度はもう少し大きなキュウリを見つけました。(お話の中の男の子が次々と少しずつ大きなキュウリを見つける度に、トルストイはその大きさを両手の指と指の間隔を広げながら示し、また、あたかもその男の子がキュウリを食べているように音を立てながら、口をモゴモゴさせます)男の子は、食べても食べて次にはもっと大きなキュウリを見つけて、(4本目のキュウリは90センチの大きさに、7本目はその男の子の大きさ位までになってしまします)とうとう畑のキュウリは全部なくなってしまいました。

孫達は、おじいちゃんのお話と、キュウリを食べる音と、キュウリが大きくなりすぎて、とうとう最後には指と指の間隔でその大きさを示すことが出来なくなってしまったことが面白くて、お話が終わった後も、家族や出合った人みんなに身振り手振りで、キュウリのお話をしたそうです。おじいちゃんがやったようにキュウリを噛む音をまねしようと、頬を膨らませ、ポリツ、ガリツとやってみるのですが、とうとうおじいちゃんのようにはうまくはできなかったそうです。

田中泰子氏によれば、アレクセイ・セルギエンコ著『L.トルストイはどのようにキュウリの話を語ったか』(1907)という小冊子で、セルギエンコ氏は、「どうしてこの話が子ども達に気に入られたのだろう?それはトルストイの話し方がとても面白かったからだ。(中略) つまり、何でもないような、つまらない話でも意味があるということだ。トルストイはいつも言っていた。真面目な大作だけでなく、どんな話や遊び歌でも、それを聞いた子どもたちが楽しげで気持ちよさそうにしていたらそれは役に立ったということだ、と。」と書いています。

2020年度から小学校3,4年生で英語活動が導入され、5、6年生は正課としての英語授業が始まります。英語の導入期に、子ども達がこんな風に英語のお話を聞くことが出来るといいですね。

「開講の詞」の由来をご存じですか [2017年02月24日(金)]

本学の式典で、創立者人見圓吉先生の声で必ずお聞きする「開講の詞」。その由来をご存知ですか。実は、私が昭和41年に大学に入学してから昭和46年3月に卒業するまでの間、この詞を聞いたのは、たった1回だけでした。その理由は・・・。

「開講の詞」は本学の前身、日本女子高等学院が始まる前年の大正8年4月に設立された日本婦人協会の「設立趣旨」として配布されたようです。日本女子高等学院が開設された大正9年9月10日からは、その趣意書の詞が本学の建学の精神を表す「開講趣意書」となりました。

人見圓吉先生は、創立50周年の記念式で、「東京の山の手の町を歩いて塾に適当な家を探しました。当時の東京には空き家が多く1時間も歩けば4,5軒位は探し出せたものであります。しかし折角探し出しても帯に短かくたすきに長く、適当な家はなかなかなく、ようやく探し当てたのは1年余りの後のことでありました。その玄関の左側に「日本女子高等学院」の表札を出しました。それが大正9年9月10日で、(開講趣意書が)できたのはその日の午後2時ごろでありました。こうしてわが昭和女子大学の前身はこの世に生れ出たのであります。」と話されています。

(「日本女子高等学院」の表札)

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しかし、その後、暫くの間、「清き気品」「篤き至誠」「高き識見」の「校訓三則」や「真善美」の詞を本学の建学の精神を表すものとして良く聞くようになりました。

『学報』は本学の歴史を振り返るのに貴重な資料となるものですが、昭和45年の創立50周年記念式の記事に、「開講趣意書」として、また、昭和47年6月の第52回創立記念式では現在のように「開講の詞」として掲載されています。このころの学報には、入学式で「開講の詞」を聞いたという学生の感想もあるので、創立50周年以降に、現在のように、日本女子高等学院の「開講趣意書」が「開講の詞」として式典などで朗読され始めたのではないでしょうか。

「日本婦人協会趣旨」と「開講の詞」は、全く同じではありません。以下の「開講の詞」の該当箇所を赤字にし、青字で「日本婦人協会趣旨」を入れてみます。ちなみに、大正9年9月発行の坂本由五郎元本学教授が編集発行人であった雑誌『抒情文學』第2巻7号にも「日本婦人協会趣旨」は掲載されていますが、以下で参考とした『学報』の記載とは少し異なる部分もあるようです。

 

開講の詞開講趣意書

夜が明けようとしてゐる。

五年と云ふながい間、世界の空は陰惨な雲に掩はれて、人々は暗い檻の中に押し込められて、身動きもできなかった。けれど、今や、一道の光明が空の彼方から仄めき出して、新らしい文化の夜が明けようまさに明け放れよう)としてゐる。人々は檻の中から這ひ出し、閉ぢ込められた心を押し開いて、文化の素晴らしい暁光)を迎へようとしてゐる勢ひ立ってゐる)。    

夜が明けようとしてゐる。

海の彼方の空にも、わが邦土)の上にも、新らしい思想の光が、ながい間漂うてゐたふてゐた、)くろ雲を押し破って、眩しい目眩しき)ばかり輝き出そうとしてゐる。それを迎へて叫ぶ人々の声をきけ聞け)。霊の底まで鳴りひびく声を、力強いその叫びをきけ聞け)。既に目ざめた(目覚めた)人々は、文化の朝を迎へる可く、身にも心にも、仕度が十分調ってゐる。 

夜が明けようとしてゐる。

われ)の友よ。その愛らしき眼をと)たまま、逸楽の夢をむさぼる可き)はもう既に去った。われ等は、まさに来る文化の朝を迎へるために、身仕度をとり急がねばならぬ。正しき道に歩み出すために、糧を十分にと十分の糧を採)らねばならぬ。そして、目ざめ目覚め)たる婦人として、正しき婦人として、思慮ある力強き婦人として、文化の道を歩み出すべく、互ひに研き合はなければならない時が来たのである。

大正九年九月十日                日本女子高等学院

(開講の詞)

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初代理事長の人見圓吉先生がご逝去されたのが昭和49年2月ですから、私たちが式典でお聞きする圓吉先生の肉声は、その前に録音されたものだということになります。また、昭和55年2月の創立者記念講堂の完成と共に、「開講の詞」の碑が入口の壁に掲げられましたので、圓吉先生の肉筆の詩も録音よりも前に書かれていたものでしょう。

次に「開講の詞」を聞く時には、ぜひ、本学の前進である日本女子高等学院の扉が開かれるにあたって、詩人でもいらした人見圓吉先生がうたいあげた力強い「開講の詞」の原文にも思いを馳せてみたいと思います。

昭和女子大学サポーターズ・クラブってどんなクラブ? [2017年02月17日(金)]

 「昭和女子大学」と大学名が付いていますが「昭和女子大学」は学校法人全体を指しているので、このクラブは、昭和のこども園、小学校、中学・高等学校、大学、大学院まですべてを対象にしたものです。クラブというのはそもそも共通の目的を持つ人たちが組織する会のことです。ですから、最近はスポーツクラブとか、ゴルフクラブなどに会費を支払って会員になっている方も多いと思います。でも、昭和女子大学サポーターズ・クラブは、こうしたクラブとはちょっと違い、会費なしで、昭和学園をサポートしてくださる方々の会です。
 
 今年、本学は創立96周年を迎え、2020年には創立100周年を迎えます。100周年に向けて、また、それ以降の昭和学園の発展に向けて、卒業生、在校生の保護者、教職員、そのほか多くの関係者の方々と共に<昭和コミュニティ>の絆をゆるぎないものにするために、2016年の7月に創設されました。昭和学園の教育活動へのご支援をいただき、学園で学ぶ児童、生徒、学生たちを支え、励ましていただける方々が、様々な形でサポートをしてくださるクラブです。大学としても、このクラブができたことを大変感謝しています。
 
 大学ではすでに「社会人メンター制度」で、社会で活躍中の女性の皆さんが学生のキャリア支援をしてくださったり、資生堂、ハヤカワ文庫、JAL、KFCなどの企業が学生との協働プロジェクトを実施してくださったりしています。また、300に近い事業所が600名ほどのインターンシップをお引き受けていただいています。寄付講座を行っていただいている企業もあり、「昭和」にはたくさんのサポーターの方々がいらっしゃいます。こうした方々にも是非、サポーターズ・クラブに登録していただけると嬉しいですね。多くのサポートにお答えできるように、サポーターのみなさんが、その甲斐があると思ってくださる昭和学園になりたいものです。
 私もサポート会員の一人でもあり、月に1回、メールマガジンで学園の近況を知らせてもらっています。2月13日のメールマガジンでは、大学の入試で既に受験者が1万人を突破したことやら、中高部のスーパーグローバルハイスクールの研究発表会の様子、そして、北校地の新校舎の写真入りの紹介などがありました。
 
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 写真の中央が新校舎、左手の奥が連結されている新体育館、一番奥のブルーの屋根の建物が記念講堂ですね。正門からの道からではこのような全体像は見ることができないので、貴重な写真です。
 すでにサポーターになってくださっている皆さんも、是非、保護者の皆さん、教え子、同窓生などをはじめ、昭和学園に関わりのある方々にこのクラブのことをお伝えしませんか。特に海外にお住まいの方などで、なかなか昭和の最近の様子をお知りになる機会が少ない方には、きっと喜んでいただけると思います。是非、皆さんで昭和女子大学サポーターズ・クラブのことを「拡散」しましょう。

昭和サポーターズクラブのサイトはこちら

キャンパスで迷った人、ありませんか? [2017年02月10日(金)]

 学外の方が参加される講演会などのイベントで、会場の場所がわからなくて困っていらっしゃる光景をキャンパスで目にすることがあります。学内の者でも、いつも使っている建物にある教室はすぐに分かりますが、主に他の学部・学科が使用している建物内にあるホール等で行われるイベントに行きたい時には、少し余裕を持って会場に行かないと途中で迷って遅刻しそうになることもありますね。
 
 特に大学2号館とその東棟、80年館とその西棟は、しっかりと確認をしておかないと、途中で迷ってしまいそうです。大学2号館とその東棟は繋がっていませんが、80年館と西棟は繋がっています。「こんなところに?」と思う教室をご紹介したいと思います。
 
 先ず、大学2号館の東棟寄りの階段、つまり、国際交流センターに向かって右手の建物に沿った間の階段を上がって左手に扉があります。ここから入ると、大学2号館2階の2L02演習室の後ろに直に繋がっています。ですから、ここは、むやみに開けないようにしましょう。また、例えば現代教育研究所がある東棟の2階以上に行きたい場合、東棟の玄関を入って左手に2つ階段が並んでいますが、これはどちらを登っても5階まで同じように到着しますので安心して下さい。
 
(大学2号東棟の階段を上がったところ)
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 さて、80年館です。ここは、地下1、2階が図書館の書庫、1階が学生ホール、2階が図書館の事務室、3、4階が図書館開架閲覧室、6階にオーロラホール(6L01)とコンピューター教室が並んでいるので、かなり利用者が多い建物です。図書館やオーロラホールに行くには、主に、正門から光葉博物館に向かって右の東側エレベーターを利用する方が多いのですが図書館以外に行くには、学生ホールの先の西側エレベーターも利用できます。この西側エレベーターを利用すれば、細い廊下をちょっと歩くだけで、どの階でも80年館西棟に繋がっています。もちろん西棟専用のエレベーターもありますから、80年館は3基のエレベーターが利用できることになります。東側のエレベーターはいつも混むので、ちょっと遠回りして他の2基を利用すると便利かもしれません。西棟には、6階にコスモスホール(6L41)があります。ここは大きな階段教室で、様々なイベントの会場になりますが、実は両方の入口が前方、つまり講演者,講義者が立つ側にあるので、途中の出入りがしにくいので注意しましょう。同様に5階の5L44もコスモスホールより少し小さい階段教室です。この教室への入口は、「えー、入っていいのかしら?」と思わせるようなところにありますよ。

(80年館西棟5L44教室入口)
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 ということで、学生数が増え、教室も増えましたが、建物の場所や名称が分かりにくくなってしまいました。実は来年度に向けて、計画をしていることがありますので、楽しみにしていてください。

太郎傘、次郎傘のお話 [2017年02月03日(金)]

 小学校から大学までに受ける授業の種類は、多分400を超えるのではないかと思います。たとえば期末試験の前になると、かなり詳細まで授業の内容を覚えていたはずなのに、時が立つと、はっきりとその内容を覚えている人はあまりないのかもしれません。逆にそれは、その内容が消化されて、それぞれの知識となって身についているということなのかもしれません。
 
 それに比べて、先生が授業中やその他の時間に話してくださったエピソードは意外に記憶に残るもので、昭和の卒業生が集まるとそういった話に花が咲きます。ここでお話する「太郎傘、次郎傘の話」も、覚えている人の多い話の一つです。大学の校舎のあちこちにある傘立てに入っている置きっ放しの傘を見ると、いつもこの話を思い出します。
 
(学内の傘立て)
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 思いがけず雨が降り出した時に誰でも使うことができるように、ある店の前に古い傘が2本置かれていました。駅の近くにある店なので、急な雨の日にはその傘が便利に利用されていました。そして次の日か、少なくとも2,3日後には、いつも2本の傘はそこに戻されていて、また、突然の雨の時には、他の人が借りていきました。ところが雨がしばらく降らなくなったある日、ふと傘立てを見ると、こんな張り紙がされていました。「太郎傘がいなくて、次郎傘が悲しんでいます」。古くなっても役に立っていた2本の傘。そのうちの1本が戻ってこなかったのです。でも、しばらくして戻ってきました、きれいに折りたたまれて、次郎傘のとなりに入っていました。そして張り紙には、「太郎傘が戻ってきて、次郎傘も喜んでいます。また一緒に皆さんのお役に立てます」と書かれていました。
 
 善意で傘を店の前に置いていた店主の思いも素晴らしいし、太郎傘に早く戻ってきて欲しいという気持ちの伝え方も、多分天日に干してきれいにたたんで傘が戻されたことも、心温まるものです。
 
 1月30日の読売新聞の夕刊に「傘の忘れ物2週間で処分」という記事がありました。東京都内では雨の日に1日約3,300本もの傘の落し物が届けられるのに、返還率は1%程度が続いているとのこと。それまで3か月だった拾得物の保管期限を2007年から、安価なものについては2週間での処分としたり、ホームページで落し物の検索ができるシステムを導入したり、着払いで自宅に配送できるようにしているのだそうですが、それでも保管場所はいつも満杯とのこと。ハンカチでさえ返還率は1.6%なのに、傘はかわいそうですよね。大量消費の時代となり、物への執着心が薄れ、探すより買う方が楽?だと思うのでしょう。
 
 少し前までは、忘れ物で保管期間を過ぎた誰も取りに来ない傘を置いている電車の駅もありました。初めのうち、傘立てにはたくさんの傘が置かれていますが、残念なことに、そこに返却する人も少なくなったためでしょうか、それとも、500円程度払えばどこでも傘が購入できるので、古い傘なんか使いたい人がいないからでしょうか、最近は置き傘をしている所も少なくなってしまったようです。
 
 皆さんの傘は学内のどこかに置きっ放しになっていませんか。古くてもまだ使えそうな傘が埃にまみれて傘立てに残っていたり、同じようなビニールの傘が何本も乱立していたりするのを見ると、この傘はきっと、はじめは喜んで使ってもらっていたに違いないのにかわいそうだなと思ってしまうのは、私だけでしょうか。
 
 バブルの時代に一度は姿を消したように思えた、物を大切にする日本古来の文化をもう一度取り戻したいと思いませんか。

何の花が咲くのかな [2017年01月27日(金)]

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 大学の正門を入って校舎に向かう歩道に沿って、植木鉢が並んでいます。いつも、つぼみのついた折々の季節の花を、学園の植栽を管理する方たちが植えてくださいます。花が開いてからしばらくの間、あちこちに並べられた鉢植えの花は、そばを通る人の心を和ませてくれています。私は特に、11月の秋桜祭の頃、可憐なコスモスの花が咲き揃うのを楽しみにしています。

 ところが先週の初めごろから、鉢に黒い色のネットがかけられ、鉢を覗くと土しか見えません。土をなじませているのか、それとも何か種を蒔いてすぐに芽が出るのかなと、毎日鉢を覗いていましたが、何も変わったことはありませんでした。そして、先週末には何やら小さな緑色の双葉が出てきたのです。何の花だと思いますか?
 
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 実はこの鉢にははじめ、ネットをかけず沢山の種を蒔いたそうです。ところが芽が出るとハトがたくさん寄ってきて、すべて食べてしまったそうです。苦肉の策としてネットをかぶせたとのことでした。
 
 だんだんに成長していますが、まだ日中の気温が上がらず、大きくなりませんね。一体どんな花が咲くのかとても楽しみです。 3月の卒業式から4月の入学式には黄色の花が咲き揃うそうです。何の花なのかは、下の画像がヒントです。

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 種を蒔いて、花が咲く時を待つのは、とても楽しいことです。花が咲くのを待つ気持ちは、よく人生の生き方にもたとえられます。
 
 2週間ほど、植木鉢を覗いていて、考えたことがあります。
 
 同じように蒔かれた種であっても、運良くハトに食べられなかったとしても、咲く花の大きさや色はそれぞれ違います。種そのものが違っていることもあるでしょう。土の栄養分、水やりの量、そして日照時間もきっと違っているのでしょう。どんな花が咲くか…大きく力強い花、他の花の陰に隠れて可憐に咲く花、他より少し色の薄い花、違う方向を向いて咲く花…。それぞれに、種から花が咲くまでの間の様々な条件に影響を受けて決まるのでしょう。土の栄養分の配合、水やりの時間や量、そして日照時間や方向など、一つ一つの花が咲くまでの環境はそれぞれ違います。もしかすると、となりの大きなつぼみに隠れて、太陽の光を十分に受けることができず、最後にやっと開いた小さい花も交じっているかもしれません。
 
 なんだか、きれいに咲き揃った花だけを見て、○○の花は美しいと感激するだけでいいのかどうか…。勝手に決めつけては申し訳ないように思えてきました。いろいろな悪条件の中で、やっと開いた小さな花は、本当は他の大きくてきれいに咲いた花よりずっと頑張り屋さんの花なのかもしれませんね。見えるものに隠れた、見えないものを見なければ、本当の良さはわからないのかもしれません。

ユメミルミズ [2017年01月20日(金)]

 昭和女子大学オリジナルのミネラルウォーターがあるのを知っていますか。名前は『ユメミルミズ』。500ミリリットル、1本90円です。第1弾には、夢みる女の子と空を見上げて夢見る海の水をイメージしたラベルがついていました。これは環境デザイン学科の学生がデザインしたものです。一人一人の夢の実現を応援したいという気持ちを込めてデザインしてくれました。
 
(以前のボトルの写真)
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 今年新しく、第3弾が登場しました。このラベルは環境デザイン学科2、3年生6名がデザインしてくれました。良く見ると昭和の校章の桜が素敵ですね。
 
(新しいボトルの写真)
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 キャンパス内の自動販売機で是非、お求めください。学生の間でも大人気で、炭酸類や甘いジュース等を飲むより、こちらの方が好まれているようです。
 
 さて、このような学生の活動は、デザインの分野でも、BMW との協働プロジェクト、学内のサイン計画など数えればきりがありませんが、その他にも、資生堂と共創の美容健康食品の販売戦略の提案、研修学寮のある神奈川県大井町の地域活性化振興策の一つとして特産物を生かしたお弁当作り、信用金庫のご協力の元、東北復興を目的とした情報誌の発刊、大学の地元三軒茶屋の商店街とコラボした街を元気にするプロジェクトなど、今ではその数は累計で100件を優に超えています。実社会に触れ、実践力を磨くこうした企業・地域連携プロジェクトの機会を得て学生達は、課題を発見し、その解決に挑み、果敢なコミュニケーションを試みて主体的に取り組むことで、企業や社会にフレッシュな感性や発想を提供しています。

 毎日更新される本学の公式Facebook では、学内外の学生のさまざまなプロジェクト活動を紹介しています。是非、皆さんも本学のFacebookをクリックしてみてください。

昭和ボストンでの成人式 [2017年01月13日(金)]

 本学では、ボストン留学中に成人を迎える学生の為に現地で毎年成人式を行っています。
 
 今年は、1月6日㈯にボストン留学中の学生202名の成人を祝って、在ボストン総領事道井緑一郎氏をご来賓としてお迎えし、昭和ボストンのレインボーホールで成人式を行いました。日本からいらした学生のご父母やご家族が21名も参加してくださり、まず坂東理事長からのメッセージを昭和ボストンのシュワルツ学長が日本語と英語で代読され、写真にあるような式次第に沿って挙行されました。一生の思い出に残るような、和やかな中にも厳粛で素晴らしい成人式でした。式の後には、寮のウイングごとに記念撮影を行いました。

(式次第)
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(Wing1の学生とともに)
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 お昼は、カフェテリアとサンルームで総領事や式に列席したご家族、教職員と共に202名の学生がランチョン、そして夜は、162年の歴史を持つボストンで最も古いホテルの一つであるOmni Parker Houseで祝賀会が行われ、成人式を迎えた学生たちにとっては特別な一日となりました。
 
 デザートでいただいたBoston Cream Pieは、このホテルが発祥のケーキで、美味しい料理で既にお腹が一杯のはずなのにフォークが止まらず、私もとうとう全部平らげてしまいました。また、このホテルの1階のレストランは、John F. KennedyがJacquelineにプロポーズをした場所として知られていて、そのテーブルが昔のまま残っています。今でもプロポーズするときに、その座席を予約するカップルも多いのだそうです。アメリカの中でも特に古い歴史と伝統を持ち、アメリカ文化発祥の地であるボストンに留学できる本学の学生は、本当に恵まれていますね。
 
 私が附属中高部の教職に就いてしばらくしてから、休職してサンフランシスコ州立大学に留学した時には経済的余裕もなく、学期の初めに購入する一番安いセットのミールクーポンを1学期間うまく使って、食事代をやりくりしました。ミールクーポンが不足し始めるのはいつも学期末の試験やレポート提出の時期。一番安い朝食でサンドイッチに好きなだけ具を詰め込んで、一番大きなコップに飲み物を入れて、部屋に持ち帰り、朝、昼、晩の3食をそれで済ませました。それでも勉強できることが嬉しかった。図書館で思う存分資料を調べ、レポートや試験準備。その学期に学んだことを一つ一つ思い出して、これはどうしてこうなるのだろうか、これとあれはどう違うのかなどと、自分の納得のいくまで勉強ができたことが何より嬉しかったです。もちろん図書館で資料を調べて勉強するだけが学びではありません。私たちが経験するすべてのことについて、これまでは、まるで霧の中にあるようにぼんやりとしか見えなかったことが、はっきりと見えるようになることは、何とも楽しいことなのです。学生時代、素晴らしい機会に恵まれてボストンで学ぶあと2年間に、是非、是非、この喜びを学生の皆さんにも共有してもらいたいものだと願って202名の新成人の誕生を祝いました。

それでも山に登り続けた田部井さん [2016年12月22日(木)]

 田部井淳子さんは、英米文学科(今の英語コミュニケーション学科)を1962(昭和37)年に卒業された本学の同窓生です。病気でご療養中のところ、10月20日にご逝去されました。本当に残念でたまりません。

 1939(昭和14)年、福島県田村郡三春町にお生まれになり、大学卒業後、社会人の山岳会に入会、谷川岳や日本アルプスなどの冬山や岩登りに次々と挑戦されました。そして、1975(昭和50)年には、世界最高峰のエベレストに女性として世界初の登頂に成功されたのです。キャンプで雪崩に巻き込まれて負傷した時、隊長は「下山」を命じたのにも拘わらず、「私は登り続ける」という固い意志で、どうしても登頂を譲らず、歩みを止めなかったそうです。35歳の時でした。エベレスト登頂で、男社会だった登山界をも変えた、世界を変えた方でした。

 エベレスト登頂成功で、一躍世界中にその名を知られることとなり、1988(平成10)年には、第1号の福島県民栄誉賞を受賞。環境問題にも取り組み、エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿の呼びかけに応えて、1990(平成2)年には山岳環境保護団体の日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(Himalayan Adventure Trust of Japan=HAT)を創設して代表に就任。国内外で清掃登山や植林などの活動を続けられました。

 さらにその後も、キリマンジャロ、アコンカグア、デナリ(マッキンリー)、ビンソンマシフ、カルステンツ・ピラミッドの登頂に成功し、1992(平成4)年、欧州の最高峰エルブルース(5,642メートル)に登り、女性初の7大陸最高峰制覇を達成されたのです。その後も世界各国の最高峰登頂を目標に、毎年のように海外遠征に出かけられました。学内のカフェテリア・ソフィアの壁には、田部井さんから寄贈していただいた、登頂記念の写真が並んでいます。

 1995(平成7)年には、内閣総理大臣賞を受賞。積極的にそして前向きに楽しんで生きていくこと、周りに感謝することをいつも大切にされていました。2002(平成14)年から2013(平成25)年の間は、本学園の理事もお務め下さいましたし、その後も評議員を引き続きお務め下さいました。2012(平成24)年からは毎年夏に、震災復興を担う若者に自信と勇気を持ってもらいたいと、東日本大震災の被災地の高校生を連れて、富士山に登られ、理事会でも、「昨日山からもどったばかりです」などと、楽しそうにお話をしてくださいました。5回目となった今年の7月にも、高校生をつれて富士山登山に挑まれ、「とても厳しい状況にいる高校生たちに、一歩一歩進めば、いつかは頂点に着くと実感してもらいたい」とことばを添えた葉書をくださいました。

 こうして田部井さんは、がん発病後も登山を続けられ、「体に負荷をかけないほうがいい」と周りからアドバイスをされても、山登りをしているときのほうが元気でいられるし、ベッドで寝ていてもちっとも幸せじゃない、と語られ、肉体的にも精神的にも何にも負けない強い信念をお持ちの方でした。

 12月18日、田部井さんとともに活動し、また、支えていた方々が世話人となって、本学で「田部井淳子さんを送る会」が行われました。在りし日の田部井さんを偲ぶたくさんの方々が参会。世界で活躍された私たちの素晴らしい先輩に、平成18年度に続き来年度の女性教養講座の講師として、2回目となる後輩たちへのご講演をお願いすることに決定していました。お話をお聞きすることが出来ず、本当に残念です。
 
(本学で開催された「田部井淳子さんを送る会」)
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(送る会で配布された資料)
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 田部井さんを偲びながら、果たして自分には田部井さんのように人生で何があっても続けることがあるのだろうかと自問しています。