現代教養学科ブログリレー(小川):卒業論文での雑誌研究のススメ

みなさん、こんにちは。現代教養学科教員の小川豊武です。7月も下旬が近づき、教員・学生にとって初めての経験であった全面オンライン形式による前期授業期間が間もなく終了します。例年、この時期になると、4年生のみなさんは徐々に就職活動に目処をつけ、卒業論文の執筆を本格化させていきます。昭和女子大学では4年生の学びの集大成として、卒業論文、卒業研究の制作が必修となっており、卒業要件の単位を取得していることはもちろん、この卒業論文を完成させて合格をもらうことで、晴れて「学士」の学位を取得して卒業することができます。

私の担当する「マス・コミュニケーション論ゼミ」はその名の通り、テレビ・新聞・雑誌といったマスメディアと社会とのかかわりについて、社会学・メディア研究の観点から探求しています。毎回のゼミでは、学術論文を丁寧に読み込んで行くトレーニングに加えて、マスメディアを対象にした実地調査を通して、メディアの卒論を執筆するための具体的な調査方法や分析方法についても学んでいきます。昨年度の3年生(今年度の4年生)のゼミ生のみなさんは、3つのグループに分かれてそれぞれ、「若者のテレビ離れは本当か」「おひとりさま文化の実態」「大学生の結婚観の男女比較」といったテーマを設けて、アンケート調査を企画して実施しました。

さて、先述したように、こうしたゼミ活動を経て、4年生のこの時期になるといよいよ卒業論文の執筆を本格化させていくことになります。ゼミ生のみなさんの卒論テーマは様々ですが、毎年一定数の学生が「雑誌」を分析対象に取り上げます。中でも多いのが「ファッション誌」に関する研究です。昨年の春に卒業したゼミ生の先輩は、女性ファッション誌の『sweet』を対象に卒業論文を執筆しました。

近年、雑誌は冬の時代にみまわれています。インターネットの普及などにより人々の情報行動が大きく変化したことなどから、多くの雑誌が売れなくなり廃刊や休刊に追い込まれています。そのような中で『sweet』は2000年代に100万部売れていた頃よりかは減少しましたが、現在でも毎号十数万部を発行し、一定の支持を集め続けているのはなぜか。これが卒業生の先輩の卒論の問題関心でした。先輩は2009年から2019年の10年間に発行された『sweet』の記事分析だけでも大変なのに、さらには『sweet』の読者へのインタビューまで行って、この問いに対して自分なりの解答を出しました。

このように、卒業論文でもしばしばテーマになる雑誌というメディアは、これまで社会学的なメディア研究の分野で精力的に研究されてきました。試みに2015年以降に発刊された雑誌研究の書籍をピックアップしてみましょう(下図)。そこで扱われている雑誌は、総合誌(週刊誌・月刊誌など)、女性誌、男性誌、趣味・娯楽誌など多種多様です。ちなみに、私も『東京カレンダー』『東京ウォーカー』といったいわゆる都市情報誌について考察したエッセイを、昭和女子大学の紀要『学苑』に寄稿しているので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。(※「分断された都市の中の 「階層最適化されたリアリティー」」)

表 近年の社会学的な雑誌研究

 

スマートフォンやSNS全盛の時代において、若いみなさんからするとふだん雑誌なんてまったく読んでいないという人もたくさんいると思います。そのような流れを受けて、上で述べたように、近年、雑誌の廃刊ラッシュは進む一方です。にもかかわらず、雑誌というメディアはなぜ、社会学的なメディア研究の重要な対象であり続けているのでしょうか。

それにはいろいろな理由がありますが、最も重要なことの1つは、雑誌というメディアは「ある時代の特徴の反映」として読み解くことができるという点です。『sweet』のようなファッション誌であれ、『東京カレンダー』のような都市情報誌であれ、雑誌にはあるコンセプトに基づいた情報が選択・編集され、配置されています。『sweet』であれば、「28歳、一生“女の子”宣言!」というコンセプトに即した、モデル、洋服、コスメなどの情報が選択・編集され配置されています。『東京カレンダー』であれば、「アッパーミドル層の東京リアルライフ」といったコンセプトに即した、モデル、東京のスポット、グルメなどの情報が選択・編集され配置されています。そしてこのようなあるコンセプトに即した情報の配置は、ひとつのまとまった「世界観」を形成します。

この「世界観」は、その雑誌を読んでいる人たちが、読みたいこと、見たいこと、知りたいことで構成されています。これはいわば雑誌読者の「欲望の体系」と言えます。『sweet』を開けば、そのメインターゲットとされている「28歳」前後の女性が読みたいこと、見たいこと、知りたいことが体系だって配置されています。『東京カレンダー』を開けば、そのメインターゲットとされている「アッパーミドル層」が読みたいこと、見たいこと、知りたいことが体系だって配置されています。そして、このような人々の欲望は時の流れとともに大きく移り変わっていきます。このように、雑誌というメディアは、「時と共に移り変わっていく人々の欲望の体系を明らかにできる」という点から、「ある時代の特徴の反映」として読み解くことができるのです。

しかしながら、上で述べたように、近年は雑誌にとって冬の時代となっており、廃刊・休刊ラッシュが続いています。この流れは、新型コロナウイルスの影響でよりいっそう加速しています。コロナによるソーシャル・ディスタンシングに象徴されるような新しい生活様式は、人々に対面状況で人と会うことを控えることを要請します。対面状況で人と会う機会が減るということは、それだけ、ファッションを意識する機会や、グルメスポットに行く機会が減ることを意味します。マスコミではファッション業界や飲食業界の苦境について頻繁に報じていますが、それはそれらの業界の情報を選択・編集している雑誌というメディアの苦境にも直結します。

これは単に「雑誌というメディアの衰退」だけで済む事態ではありません。雑誌というメディアの衰退はすなわち、人々の日々の消費を中心とした生活から「欲望の体系」が失われること、すなわち「世界観」が失われていくことにつながります。人々の消費生活は、SNSのアルゴリズムで操作された雑多な情報によって、体系だった世界観のない、無秩序で味気のなものになっていってしまうかもしれません。

もうあと数年もすると、卒業論文で雑誌研究をやりたいという学生さんもいなくなってしまうかもしれません。そうならないように、学生さんたちには、少なくとも、過去のある時代までは、人々は雑誌を片手に「世界観」のある消費生活を送っていたのだということ、それはSNSの情報を中心とした消費生活とはまた異なる、それなりに魅力的で豊かな消費生活だったのだ、という事実を伝えていけたらと思います。

小川豊武