学生、老師を訪ねるの巻【鈴木円先生】

希望に燃えて入学してきた学生たちも、教育や保育について深く勉強していくうちにいろいろと悩みが出てくるようだ。では、ここで創作小話を一席。
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学生、老師を訪ねるの巻

教員を目指して学ぶ学生A・B・Cは教員となることについて、あれこれ思い悩み、昭和・平成・令和と教員生活を続けたのち今は仙人と化して山奥に住む老師の元を訪ねたのであった。

学生A「老師! 私は教師に向いていないんじゃないでしょうか? 教育について学べば学ぶほど自信がなくなってきてしまって…」

老師「ふぉ、ふぉ、ふぉ。それは、おぬしの教育についての見識が深まったということでまことに結構なことじゃ。おぬしが教師に向いているかどうかなど誰にもわかりゃせんし、自分であれこれ悩んでわかるわけでもないのじゃ。向いているかと聞かれて、「向いていないよ」と面と向かって言う人も、今の世の中なかなかおらんじゃろうて。かといって、「向いているよ」と言われて安心できるわけでもなかろう。はっきり言ってしまえばのう、向いているか向いていないかなどと考えるだけ無駄じゃ。要は、おぬしが教師になりたいのか、なりたくないのか、それだけじゃ。教師になりたければ、なれるように努力すればよし、なりたくなければ、ならなければよい。教師に向いている者が教師になるのではないのじゃ。教師になろうとひたすら努力する者が、結果的に教師に向くようになっていくというわけじゃ。わしも昔40年以上も教壇に立っていたけれども、わしが教師に向いていたかどうか、未だにとんとわからんのじゃ。遠い昔、学級担任をしていたことがあったのじゃが、ある年には、ほとんど学級崩壊になってのう、途方にくれて、こりゃだめだと毎日泣いておったこともある。ところがじゃ、ある年には、まあ、ごくまれにじゃったが、学級の子どもたちから「先生、先生」と慕われて、まるで青春ドラマみたいでいい気になってのう、教師は天職じゃと思ったこともあるわい。つまるところ、教師に向いている人がどんな人かなど決まっているわけでなし、世の中めぐり合わせでいろいろなことが起こってくるものじゃ。ただ、一つだけ言えることはのう、おぬしが目の前の子どもたちのために一所懸命になれるか、ということぐらいじゃ。どんなときでも「すべては子どもたちのために」という気持ちを持ち続けられるかどうか、それを自分に問うてみるがよい」

学生B「老師! 私は教員採用試験に受かるでしょうか?」

老教師「ふぉ、ふぉ、ふぉ。なんでそんなことを思い悩むんじゃ。それを悩むのはおぬしの仕事ではないぞよ。おぬしを合格にするか不合格にするか悩むのは採用する側の仕事じゃわい。いくら思い悩んでも、おぬしが合否を決めることはできんのじゃ。いくら考えても答えが出るわけでなし、悩んでも無駄なことよ。さて、ところで、おぬしは何のために教員採用試験の勉強をしているのかのう。教員採用試験というものは、確かに結果はいろいろあるじゃろうけれども、よくよく考えてみればじゃ、結果よりも本当に大事なのは、おぬしが教員として子供の前に立ってまがりなりにも教員としてふさわしい働きができる力があるかどうかということじゃろう。そう考えれば、教員採用試験に受かるための勉強などと考えるんじゃなくて、将来、おぬしの目の前にいるであろう子どもたちのための勉強と考えてみればどうじゃ。子どもたちのための勉強なのじゃ。どうじゃ。そのほうが勉強しがいがあるじゃろう」

学生C「老師! 私は教育現場でやっていけるでしょうか?」

老師「ふぉ、ふぉ、ふぉ。やっていけるわけなかろう。大学を卒業したぐらいでは、なんとか教育現場でようやっと仕事ができる程度の力しかないんじゃ。それでやっていけるかどうかなどど考えるのは、十年はやいというものじゃ。どんな仕事でもそうじゃが、仕事というものは経験を積みながら、おのれの技量を高める努力を続けなければ一人前にはなれぬものじゃ。やっていけるかどうかを悩むぐらいなら、いまから、やっていけるようになるには何をすればよいかを考えて努力すべきじゃろう。それは終わりのない努力なのじゃ。だいたい、自分は教師として十分やっていけると自信を持っているような教師にろくな者はおらん。まともな教師ならば、みんな自分の不完全さと向き合いながら、毎日努力を続けているものじゃ。やればやるほど、不完全なところが見えてくるものじゃが、だからこそ努力のしがいもあるというものじゃ」

かくて、学生A・B・Cとも、老師の言葉に深く感じ入り、山を降りていったのであったが、ちょっと聞いた相手が悪かったかなとも思うのであった…。

おしまい
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さてさて、いかがでしょうか?

確かに学校教員の仕事は責任の重い難しい仕事です。報われないことの多い仕事かもしれません。自分の仕事の成果がすぐに現れる仕事でもありません。しかし、たしかに言えることは、教員は未来を創る仕事です。あなた方の目の前にいる子どもたちが、未来の社会の担い手になるのです。
教師はいつも、未来の世界を見つめているのだと言ってもいいでしょう。